実に三ヶ月ぶりとなる更新
更新の仕方を忘れてしまいそうだ(笑)
それにしても、戸田さんは日本に体が合ってないのかも
そう思ったのは私だけだろうか。
恒例となったエッセイ画像の更新をした。
今回は香港から最後のエッセイ、今月16日から戸田さんは東京勤務となるそうです。
といっても、日本(東京)に月のうちどれぐらい居るかはわからないですね。
また、私の東京出張に折りが合えば、ミーティング(という呑み会)したいものです。
またまた、間があいて、一ヶ月以上ぶりの更新だ。
今回はエッセイ画像2本、どちらもなかなか面白い。戸田さん自身に、ここのところちょっと余裕が出てきたような印象を受ける。なんというか、力の抜け具合がちょうど良い感じ。
人間やっぱり余裕が大事かも
それで、また東京あたりで呑みましょう、戸田さん。
またもや久々の更新。それにしても、なかなか空恐ろしい近未来風景かも。
某国の大統領選挙を見ていて、田中角栄を連想するこのごろ
どうなるんでしょうねぇ
戸田さん、この件については、またどこかで呑みましょう。
かなり久しぶりの更新。ここのところ、何だか忙しくて、かなり前にファイルを送ってきてもらってたのに更新していなかった。戸田さんごめんなさい。
TWINSについては、こちらのマスコミではあまり取り上げられてないので、よく知りません。
これは、これからねらい目かもしれないですね。
アジアの路上で「香港から見たアテネ、或いは北京五輪の恐怖」をアップした。
最近、某朝日新聞朝刊に「アジアの街角」なるコラムが出来て、戸田さんパクられたなぁ、などと思う今日この頃。
アテネ五輪は、まあ、私も同居人につられて結構テレビ見てしまいました。
戸田さんの意見ですが、バドミントンのポータルサイトをやっている同居人に言わせると「その競技自体が好きで見ている人もいるので、そう言いきれるものでもないのでは?」とのことです。
しかし、アテネからの国際映像を見ていると、同じスポーツを撮っていても、こんなに違うもんかなぁ、と思いました。
他の人も書いていたことだけど、柔道の試合なのに、肝心の技かけてるのを撮らないで、選手の表情のアップとか、会場の観客とか流すんだもの、ぶっ飛びました。もっと驚いたのは、マラソンの選手が、げろ吐いてるのをアップで撮ってたのとか、とにかく選手の表情のアップばかり多くて、全体のレースの流れとか、後方集団での競り合いとか、まったく分からないまま終わってしまったマラソン中継でした。
ほかにも、野球中継の固定カメラが風で揺れて、見ていて酔いそうになった、と怒っておられる方もいました。
考えたのは、この中継を担当した人たちは、競技それ自体より、やっている人間(の表情)に関心を持っている、というか、競技のことは知らないし興味も無い、って感じでしたねぇ。
これはお国柄なんでしょうか。それともなんか裏があるのでしょうか。
実は先週送られてきていたエッセイ画像をようやくアップ。
「HERO」私はあまり見てなかったけど、このショットバーのシーンは覚えている。
でも言わせて貰うと、バーというところは客が望むことを何でも叶えてくれるドラえもんみたいなのが本来の姿と思う。
なんでも注文して良いというわけでは無いけど、その辺は客とお店の阿吽の呼吸というヤツ、大人の遊び場、ですな。
少し前、近所のバーで、思いつきでメニューにない冷や麦を注文したら、何も言わずに作ってくれた。でもマスターは流し素麺だけはイヤだ、と言う。
店に馴染みになると、おもしろいことにも出会えるけど、そうじゃないことも見えてしまう。人間関係同様、難しいところです。
また、久しぶりに「ビジネス・アラウンド・ザ・ワールド」を更新した。これはかなり前に原稿を貰っていた「隠し球」です。
久しぶりの日記更新。エッセイ新連載に期待。今度は料理の話を中心に書くのかな。
無線マウスというものを買ってみたら、これが結構具合が良い。
サーバの方は、若干設定ファイルを変更しなければならない部分があり、みなさんご迷惑をおかけするかも。
子供は夏休みで羨ましいが、彼らなりにいろいろやることが有って忙しいらしい。日本の中学は今もっとも教育制度的な無理がたまっているところらしく、生徒も教師もお互いに幸せそうでない。
皆が自分にとって本当に大事なことは何か、はっきりさせることが出来れば、いろいろな構造改革は一気に進むのかもしれない、そんなことを考えていた週末でした。
久しぶりの更新。エッセイ画像の新しいのをアップした。
戸田さんはまた忙しくなっているご様子です。
私の方も、実はぼちぼち忙しかったりする、特に先月は「日経サイエンス」誌にひょんなことから取材されちゃったりしてました。まったくの「なんちゃって」なんですがねぇ
ここ数日、関西は暑くなってきて、パソコンに近づくのもいやになってきます。へろへろ
今月は、エッセイの画像が2点送られてきたので、一挙掲載した。
方中信(アレックス・フォン)、私は今まで全然知らなかったけれど、熱心なファンは居るもので
「方中信をよろしく」
http://www.asahi-net.or.jp/~SP4F-MSW/alex/index.htm
なんてページがある。
「亜州明星総覧」にも有りますな
http://asiastar-hp.hp.infoseek.co.jp/japanese/alexfong.shtml
いい男というより、ちょっとマッチョなおじさん、警官・刑事役にあいそうな役者さんかな。
それはそうと戸田さん、この人が修善寺に来るとき最初、関西で温泉と居酒屋という話があって、そのとき私が紹介した天王寺の古い居酒屋、今度一緒に行きましょう。
5月号のエッセイ画像が届いたのでアップ。
ビョルン・ヴィルドハイム、BARホンダのオファーを蹴ってジャガーへ行ったのかな?
日本ではいよいよゴールデンウイークに突入、だが
私は暦通り明日は出社予定
息子の宿題につきあって、タンポポの花を探して近所を散歩した。
このあたり(神戸)では、めっきり減ってるんですね、なかなか見つからなかった。
昔は、いやと言うほど生えていたのに。
雑草(という植物は無いそうですけど)は抜いても抜いても生えてくるから
強いような気がするだけで、他のすべての生き物と同じく、
実は微妙な環境のバランスの上に生きていることを実感しました。
戸田さんの日記も2月に突入したが、実際の暦の方も4月に突入。リアルタイムはなかなかである。
4月に入って、近所のスーパーが深夜営業を始めた。これで便利になったのか? うーん
夜も眠れない。
日記を更新して、遂に2004年に突入。
それでも2ヶ月遅れだけど
http://www.apple.co.jp/education/science/profiles/vatech/video/index.html
こんなのを見て感動
10テラフロップスのスパコンが520万ドルで作れる時代なんだなぁ
35テラフロップスとはいえ3億数千万ドルかかったという(総額は10億ドルとも)
日本の地球シュミレータはなんなんだ。
ついに、2003年日記とさよなら。
タイトルは2004年になっても変わらないのかなぁ、と思いつつ、12月の日記をアップ。
戸田さんの紅白言いたい放題には笑った。
個人的にはあわただしい週末だった。また来週は週末も仕事が入っていて、今から憂鬱だ。
11月分の残りがあったのを送ってもらったので、更新。
最近またちょっと忙しい、昨日は日本では祝日だったのだが、休日出勤してサーバのメンテなどやる羽目になった。本来なら今日は東京に出張するはずだったのだが、さすがにこれはキャンセルしてもらって、少しゆっくりした。
それでも、期末にむけて仕事の催促が入っている。私にとって今の季節は要注意で、何年か前に大きな鬱に入ってしまって難儀したことがある。それ以来、あまり無理をしないようにしている。
何事もほどほどが一番(笑)
去年の11月の日記をアップした。
自分が出てくるところは、なんとなくこそばゆい感じがする。いつものことだけど。
でも、この前会った時の前後、戸田さんがどのような日々を過ごしていたのか、
いろいろわかって、興味深い。人と会う時間はそのとき切り取られていて、
その中の印象だけが残っているものだけど、流れの中でもう一度確認すると、
また違ったことが見えてくる。
しかし、私は「科学者」なのか?(笑)
最近、戸田さんが何故か勢いづいている。(笑)
まだ去年の日記だけど、近いうちに追いつきそうだ。
ところで、昨日は神戸の震災の日で、例年通り、私の頭上を何台ものヘリコプターがホバリングして行った。
あの日から9年。長いような短いような、でも確実に変わっていった日々でした。
http://www.rengo.net/atsuo/hisainikki/17jan1995.html
珍しく即日更新。
このエッセイの話は、ここの読者の方なら、以前日記で読んでいるはず。
しかし、日本は今冬で寒いので、南国の島の話は単純に羨ましい。
私の方は本業がやや忙しくなってきた。
先週から、メールで送られてきていた戸田さんのエッセイ画像と日記原稿をアップした。
原稿以外にこのBlogの更新が止まっているという指摘のメールも貰った。
そんなんで、書くぞ。(笑)
エッセイの方に出ていた、子供の質問魔の話について
私の経験では、子供がこのように親を質問責めにする時期というのは限られていて、
思えばむしろ、いとおしい感じがする。
私も家内も、娘のどんな質問にもできるだけ丁寧に答えたし、分からないことは分からないと言うようにした。それはそれで楽しかった。
下の息子は、言葉が遅かったが、しゃべられるようになってからも、あまり子供の質問らしい質問をしないままだった。
後日そのことについて彼に聞いてみたことがある。それによると言葉が話せないときも家族の話していることは理解していて、しかもよく覚えていたらしい。姉が両親にした質問とその答えを横で全部聞いていたので、自分は何も聞く必要が無かったという。
子育てもそれなりに報われることがあるものだ。
火曜日に戸田さんよりメール。日記の更新をする。
いよいよ、夏の休暇でイタリアへ行った話に入った。
私の方は、先週の出張疲れと連休疲れで、やや疲れ気味。
とりあえず、更新したら寝よう。
昨日(11月20日)は東京で戸田さんと会って呑んだ。
仕事が終わってから、新橋駅で待ち合わせ、約束時間通りに戸田さんはやってきた。
まずは、戸田さんの妹さんの行き着けの店というカントリー調のバーでバーボンで乾杯、ちょっと遅れて来るというH君を待つ。
思えば、戸田さんと初めて会ったときから、20年の歳月が過ぎている。昔の思い出話をしながら、物事、10年ぐらいでは、変わった、といってもまだ前の名残というか跡形ぐらいは残っていたりするもの、ところが20年経つと、跡形も無く変わってしまう、そんな話になった。
葛西方面から来るというH君がなかなか現れないので、とりあえずバーのマスターに紹介して貰った近所の日本料理屋に移って、刺身などをつまむ。かつての「某外資系食品会社」での同量、H君は、独立して仕事を始めてから結構忙しい様子だ。
戸田さんが彼とバンドを組んでいた頃の話をしながら呑んでいると、一緒に来日している奥様、リエさんから戸田さんの携帯に電話が入る。知り合いの人たちと六本木で呑んでいるので合流しないか、ということだった。
新橋駅でH君の到着を待ってから、3人でタクシーに乗って、六本木へ向かう。近頃流行の焼酎をいろいろ置いているおしゃれなお店で、リエさんは通訳の仕事をしたという会社の人たち、男性2名女性2名と呑んでいた。こちら男性3名で合流して、互い自己紹介などして、焼酎を呑み、鴨鍋をつついた。
戸田さんと会うと、世界のどこでもこういう「人脈のリミックス」が起こって普段会うことのない人たちの話を聞けておもしろい。H君はその中でも仕事の出来そうな女性に大層気に入られて、いろいろ話を訊かれていた。
もうすぐ夜半という頃、戸田さん、H君と私は、先に引き上げることにした。リエさん達はまだもうすこし呑んでいくという。タクシーを呼んで、それぞれの帰るところまで廻って貰った。
こんな調子で書いてしまうと戸田さんが日記に書くことが無くなるかな。(笑)
久しぶりの日記の更新、昨日夜にはメールを貰っていたのだが、アップは今日になった。
ようやくと言った感じの8月突入だが、さすがに疲れていた様子で、そっけない日々の記録である。
明日、私は東京に出張なので、そのことを戸田さんにメールしてみると、17日から東京に来ているという返事。20日に会おうかということになる。
さて、今度は何が起こるか・・・・(汗)