『アジアの路上で』
文・戸田光太郎
第1回 「北アジア人というカテゴリー」
私がアムステルダムに住み始めたのは湾岸戦争が起きた年の夏前だった。一年半ほどでロンドンに移り住み、仕事でスウェーデンからローマまで欧州中を飛び回る生活を続けるうちに十年が経った。早いものだ。その間、自分のアイデンティティーは終始「アジア人」というものだった。 欧州人は一般的に、或る一人の東洋人を見ても彼がどの国出身か特定できない。一括りの「東洋人」ということで済んでしまうことが多い。それは日本を出たことのない日本人が白人を目にすると「アメリカ人」とか「外人」というレッテルを貼り付けて、その白人がクロアチア人なのか、アイルランド人なのか、イタリア人なのか、ポーランド系のアメリカ人なのかなどとは思考停止してしまって考えないのと同じ現象である。「黒人」に関しては私もアフリカにそれほど足を踏み入れたわけではないので、その黒人がモザンビーク人なのか、エチオピア人なのか、ニューヨークのハーレムからの人なのか、ロンドンに住むカリビアンなのか、ということを見抜く眼力は養われていない。残念だ。 犬に興味のない人にとっては土佐犬も秋田犬もセントバーナードも「イヌ」とカテゴライズされただけで終わる。人間は自分から遠い存在の差異を見出すことは苦手だ。欧州における東洋人は遠い存在なのである。 ところが最近、シンガポールに住むようになって驚いた。チャンギ空港から一歩降りた瞬間からシンガポーリアン達は私に向かって「あなたは日本人? それとも韓国人?」と聞くのである。何回も聞かれた。私の風貌は明らかに北方アジア人のものなのだ。日本にいた時は自分が日本人とは意識しなかったし、ましてや北アジア人などとは考えもしなかった。ここ十年は欧州で輪郭の曖昧な「東洋人」として生きてきた私である。それがいきなり「北アジア人」と特定されたのは新鮮な体験だった。
(9.Apr.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro) |