『アジアの路上で』
          文・戸田光太郎
 第2回  「フィリピンの階級」

 英国に八年間住んだ。あそこは階級社会だった。一時期住んでいたロンドンのアールズ・コートのパブ(英国風居酒屋)には労働者階級用の入り口とホワイトカラー用の入り口があった。労働者とホワイトカラーはバーカウンターで大きく仕切られていて、交わらない。お互い放っておいてくれ、というやり方だ。汚れたジーンズに作業着というような肉体労働者は、小奇麗なスーツ姿のビジネスマンと一緒に飲んで気を使うことはない。階級が違うと共通の話題さえないのだから、これは社会の要請する便利なシステムで、一概に眉を顰める類のことではないのである。

 自身は外国人なので仕事帰りのスーツ姿で寄る時はホワイトカラー側に紛れていたし、夜に飲みたくなってジーンズやTシャツを身につけて外出した時は労働社側に入った。日本だって、よく考えれば肉体労働者が地下足袋で入ってコップ酒と煮込みを摂る店もあれば、OLがカクテルを飲む気取った店もあるし、サラリーマンのオヤジが集合する居酒屋もある。それをくっつけて労働者部屋とOL部屋とオヤジ部屋を中央のバーカウンターで区切ればいいわけだが、そうはならない。日本の階級は地域でも分かれている。例えば東京なら巣鴨、銀座、渋谷、新宿、更にその中の地区でもまた細かく人種は異なってくる。考えてみれば日本にだって緩やかな階級はあるのだ。


 て、出張でフィリピンのマニラに行き、私が勤務するテレビ局のフィリピン事務所の女性スタッフと行動を共にした。彼女も他のフィリピン人同様英語が達者で、絶えず喋りつづけていた。ところがこの彼女が、ぴたりと貝のように口を閉ざしたのである。それはフィリピン国営テレビ局での小さな会議の席でだった。英国ならばBBC、日本ならばNHKに相当するその局のスタッフは揃って「血筋が違」った。男女共に良家の子女という顔付きで、洗練された服装、仕草には優雅な無関心さが滲み、とびきり達者な英語を喋るのである。夜、彼等と連れ立って、外人疎開地のような西欧風居酒屋で食事をしたが、饒舌だった我がフィリピン女性はまた一言も口をきかなかった。「どうして、君、突然おとなしくなったの?」と私は心配して聞いたが、答えは、「ちょっと疲れたの」だった。


 は、これは階級だ、と直感した。我がスタッフは頭の良い元気な女性だが小柄で痩せている。外見はどう見ても国営放送の、栄養が良さそうにツヤツヤしている坊ちゃん嬢ちゃん側に部がある。彼らは明らかに上層階級に属し、そのマナーを身につけている。マニラでは上半身裸で裸足の人間が路上に氾濫している一方で、このように洗練された人間が典雅な生活を送ってもいるのだ。その後、付け焼刃で色々と資料を読んでみると、フィリピンもまた、とてつもなく厳然たる階級社会であることを遅まきながら知った。特にスペイン系が幅を利かせているようだ。ディープなアジアを理解するには遠い道のりがある。

(16.Apr.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro)

<表紙に戻る> <アジアの路上で>