『アジアの路上で』
文・戸田光太郎
第2回 「フィリピンの階級」
英国に八年間住んだ。あそこは階級社会だった。一時期住んでいたロンドンのアールズ・コートのパブ(英国風居酒屋)には労働者階級用の入り口とホワイトカラー用の入り口があった。労働者とホワイトカラーはバーカウンターで大きく仕切られていて、交わらない。お互い放っておいてくれ、というやり方だ。汚れたジーンズに作業着というような肉体労働者は、小奇麗なスーツ姿のビジネスマンと一緒に飲んで気を使うことはない。階級が違うと共通の話題さえないのだから、これは社会の要請する便利なシステムで、一概に眉を顰める類のことではないのである。 私自身は外国人なので仕事帰りのスーツ姿で寄る時はホワイトカラー側に紛れていたし、夜に飲みたくなってジーンズやTシャツを身につけて外出した時は労働社側に入った。日本だって、よく考えれば肉体労働者が地下足袋で入ってコップ酒と煮込みを摂る店もあれば、OLがカクテルを飲む気取った店もあるし、サラリーマンのオヤジが集合する居酒屋もある。それをくっつけて労働者部屋とOL部屋とオヤジ部屋を中央のバーカウンターで区切ればいいわけだが、そうはならない。日本の階級は地域でも分かれている。例えば東京なら巣鴨、銀座、渋谷、新宿、更にその中の地区でもまた細かく人種は異なってくる。考えてみれば日本にだって緩やかな階級はあるのだ。
(16.Apr.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro) |