『アジアの路上で』
          文・戸田光太郎
 第4回  「声」

 銀座のママを長年勤めてから作詞家となった山口洋子がこんなことを書いていた。「顔の悪いプレーボーイはいるが、声の悪いプレーボーイはいない」と。
 十年ほど前、バブリーな東京では皆、毎日が祭りであるかのように働き、毎日が締め切り前夜の徹夜仕事であるかのごとき勢いで遊んでいた。男達は誰もが女友達の輪がどんどん広がって収拾がつかなくなっていた。携帯のなかった当時、深夜、自宅に電話がかかってくる。「ねえ、わたし」というのが多かった。

 を特定するのが得意な男達は数年会ってなかった人間でも「もしもし」と聞こえた瞬間「ああ。シャロンかい」とか「おお。緒方さん」とか返事して相手を感動させたものだ。だから深夜電話の声も「やあ亜紀ちゃん、こんな遅くにどうした?」などと自信を持って喝破する。が、そのうち知恵がついたのか相手も「ねえ、わ・た・し」と声色を使って罠を張り始めた。そういう時に他の女性の名前は口にできない。「おお元気? アレどうなってる?」と激しい勢いでジャブを連打し反応を見ながら外堀を埋めて相手を特定したもの、らしい。そう伝承されている。されどバブルな日々よ。


 て、久々にシンガポールのオフィスに戻ってデスクにいると電話がかかってきた。
 「おおい、戸田サン。元気かい?」
 相手が英国人男性だということは発音でわかる。
 「どなたでしょうか?」
 と恐る恐る訊いた。さすがの私も全く見当がつかなかったのだ。
 「この声がわからないのかい?」と相手は言った。
 「マークだよ。今、受け付けにいる」
 「マーク」というのも数人知っていて、特定できない。香港で知り合ったマークか。東京で知り合ったマークか。まさかロンドンか?
 「マーク、今降りていくから」


 局、今回は顔を見るまで思い出せなかった。ロンドンのテレビ局で同僚だったマークだった。彼は数年前に転職している。その転職先の出張でシンガポールに来ていて、このテレビ局にも別件で寄ったのだった。「この前、オーストラリアでメグに会ってさ、戸田サンがシンガポールに居ると聞いて驚いた」とマークは言った。メグもロンドン時代の同僚だが、四年前に長期休暇を取って夫と世界旅行してオーストラリアが気に入り、移住してしまった。十年前に「インディペンデント」という英国の新聞社に勤めていたサイモンもオーストラリアに移住してインターネット会社に転職し、最近シンガポール出張中に私と六年振りに再会してお互い驚愕した。世界は狭い、と。

 うして知り合いの輪は世界に散らばり、時にどこかの地点に集結している。十年前と違うのはEメールのアドレスと携帯の番号を即座に交換して彼らが日本や欧州やアメリカに帰った翌日にもメールを送ってくることだ。しかも、彼らから携帯に電話が入ると相手の名前がモニターに表示されてしまう。その液晶文字を見ながら私は言う。「はい。シャロン、久し振り。元気かい?」。勿論、シャロンは「嬉しいわ。私の声、覚えててくれてたのね」などと感動はしない。


 クノロジーを受け入れた分だけ、人の努力と感動は目減りする。


(30.Apr.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro)

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