『アジアの路上で』
          文・戸田光太郎
 第5回  「女の子の心意気」

 同系列のテレビ局の北京オフィスに行って、感慨深かった。そこは同局のパリやミラノやミュンヘンやオランダのオフィスと同様、活気がある。元気な若者達がカジュアルな格好で走り回り、打ち合わせをし、コンピューターや電話に向かっていた。これがコミュニストの中華人民共和国だとは俄かには信じ難い。WINDOWSというものもジーンズやコーラやマクドナルドやハリウッド製映画のように世界に浸透してしまった。

 ンドンで坂本龍一氏をインタビューした時、モンゴル旅行から帰ったばかりの彼が言っていた。地域の文化を破壊するという意味でWINDOWSは憂うべきことだが、若者に国境を越えたコミュニケーションのプラットフォームを築いたという意味ではやはり画期的である、と。

 て、北京オフィスで長期出張中のシンガポール人青年ニコラスに会った。彼は私の属するシンガポール本社の視聴調査部から数ヶ月間だけ送られてきている。
 「ねえ、ミスター・トダ」とニコラスが愛しそうに撫でながらコートを差し出した。
 「これ、いいだろ? これを、こう、着て歩くわけ、北京の街角を。ふふふ
 私にとっては何の変哲もない薄手のコートであるが、常夏のシンガポールから着任している彼にとってコートを着るというのは一種、神聖な行為なのだろうと思う。

 は日本で育ち、アムステルダムに住み、ロンドンで数年過ごしてから直接シンガポールに赴任してきた。初日にはきっちりスーツを着込んでミーティングに出席して、(暑苦しいな、この外人)というような視線を浴びたものだ。上着まで着るスーツ姿は珍しいのだ。

 ンガポール在住の日本人は新参の私に警告した。「四季がないから時間が過ぎるのは早いですよ。誰といつ会ったか、なんてことは手帳に記しておかないと忘れます。人間、その季節や自分の服装で時を記憶に刻むものですが、それがこの国では不可能ですから」
 確かにそうだった。去年の五月に移住してきた私は、クリスマスでも年末年始でも半ズボンにTシャツでひょこひょこ歩いているシンガポール人のライフスタイルを目にした時、特に驚いた。季節感がないから気が付くと半年以上が飛ぶように過ぎていたのだ。

 んな環境で育った青年ニコラスのコートに対する愛着も今は理解できる。
 日本のサブカルチャーに被れたシンガポールの女の子達が厚底ブーツを履いている心意気も、今では好感を持って眺めている。たとえ足が蒸れて異臭を放ち汗疹が出来ようが、ファッションに殉じる彼女達は気にしない。それはちょうど、ロンドンの寒空で鳥肌になりながら下着姿のようなキャミソールで街を闊歩していた英国の女の子達と通じる、切ない心意気なのだ。若者ファッションは、実用性に背を向けることが多い。

 用一点張りで全てを選び始めた時、少女は自分が一足飛びに、オバサンになったことを知るのである。



(7 May.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro)

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