『アジアの路上で』
文・戸田光太郎
第6回 「お手伝いさんのいる世界」
東京出張と、昔バンドを一緒にやっていた友人Aの結婚式がうまくシンクロした。私は二次会の司会を頼まれた。Aは大橋純子というプロ歌手のバックをつとめたこともあるツワモノだ。で、Aの周辺にいた女性達とおよそ二十年ぶりに会ったのだ。当時、女子高大生だった彼女達が揃って三十代半ばを過ぎているという当然の事態に私は驚愕した。時は流れる。中でも派手な女子大生バリバリだったN子が上海で市場調査会社女性社長をしているのに驚かされた。彼女の周りにはジャパン・マネーを吸い上げて、労働力の安い中国で女王様のような暮らしをおくる日本女性もいるという。天晴れ、大和撫子。
この日、私は日系企業の社長二人に会ったが、二人とも運転手付きの自動車で私を送迎してくれた。ヨーロッパにある日系企業の社長は自分で運転していた。この差は何故だろう。彼らは種明かししてくれた。一日車で待機している運転手に払う月給はたったの五千円なのだという。恐らく、ダニエル家の使用人も四人で合計二万円を切る。ヨーロッパなら一人雇うだけで月に二十万円はかかる。日系企業の社長の一人が説明してくれた。月給が五十万ルピア(=約六千円未満)の人間はインドネシアの就労人口の七十八%。このカテゴリーの人間のエンゲル係数は、百。つまり、稼ぎは食費となって消える人々なのである。一方、月給一千万ルピア(約十二万円)の高給取りの層は全体の0・一%に過ぎない。千人に一人しかいないこの層のエンゲル係数はさすがに十。恐らくダニエルは高給取りの部類で、夫婦で月に二万円、使用人の給料を払える立場にあるのだろう。 さて私が住むシンガポールでメイドは月4万円で雇える。フィリピンやインドネシアの女性が中心。冷房のない狭いメイド部屋に若い女性を住まわせるのは気が引けることだが、彼女達にとっては、食住が付く上に故国の何倍もの給料が手元に残るわけで、出身地の人間から見れば「出世頭」と見なされるらしい。ちなみに私はまだメイドを雇っていないが。 どこで働き、どこで給金を消費するか、という選択肢はもはや単一ではない。 (14 May.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro) |