『アジアの路上で』
          文・戸田光太郎
 第7回  「もう、そろそろ、やめませんか?」

 もう何人にも聞かされた。日本人同士の不気味な足の引っ張りあいだ。
英語圏の駐在からシンガポール(まあ、シンガポールも英語圏ではあるが)に駐在となった人の奥さんが、英語が流暢なのを隠す、という話には驚いた。英語を喋っていると(気取っている)と言われるから能力を隠すしかなくて、そうしないと奥さん同士の陰湿なイジメに会うのだそうだ。はじめは冗談かと思ったが、業界の異なる人々から聞かされたから、局地的な現象ではない。その他、同じグッチのバッグを持っていないと仲間に入れないだとか、亭主の上司の奥さんに使い走りをさせられるとか、もう、馬鹿々々しい話ばかりで息苦しくなってくる。どうやら皆、内心では嫌だと思っているのだが、全体の流れの中で逆らえなくなっているのだ。

 本は小学校から政界まで、こういう淀んだ空気が流れていて、皆、内心嫌気がさしているのに旧弊な流れに逆らえないでいる。それがシンガポールの日本人社会で濃縮された形で出てきているようだ。せっかく南国のノンビリした国(日本よりは)にいるのだから、わざわざあんな澱んだ空気だけを輸入して濃縮することはないと思う。皆、馬鹿々々しいと自覚しているのだから、一人一人が理不尽なことには「嫌だ」と言うようにして欲しい。仲間はずれにされてもいいじゃないですか。そんな阿呆な「仲間」からは離れて、「もう、そろそろ、やめませんか?」という、考え方の自由な人々だけが着かず離れず緩やかに結びつけばいいわけだから。

 司の奥さんはご主人の権力をカサに自分が威張っていないか反省してください。
 ご主人は奥さん方の困った状況を風通し良くしてやるよう努力してください。
私が昨年まで居た英国の日本人社会は6万人くらいの規模で、20年以上の永住者から芸術家、駐在員、国際結婚組、学生と幅広いので日本人社会も狭い感じはなかったし、英国人が気質的に「俺のことは放っておいてくれ」という個人主義なので、それが伝染してか日本人も他人のことをそれほど気にしてはいなかった。少なくともシンガポールの日本人ほど暑苦しい話は耳にしなかった。

 う、そろそろ、やめませんか?
 放っておかれたい人は放っておけばいいし、もっと自由に生きましょう。他人と違うかどうかということばかりを気にしたり、相手が自分と違っていると嫉妬したりとか、ネガティブな心の動きは感情の無駄遣いですから、人は人、他人は他人と割り切って、もっと爽快な人生を送りましょう。これを読んだ人はイジメを即刻やめること。子供じゃないんだから。もっと立派な日本人を目指しましょう。

 いうわけで、今回は「緊急提言」調となりましたが、今週末からまたロンドン、パリ、チューリッヒ、そしてオーストリアのブレゲンツに行くので数回先の回は「欧州の路上で」として何かご報告致します。乞うご期待。



(28 May.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro)

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