『アジアの路上で』
文・戸田光太郎
第8回 「欧州のシンガポール人」
久し振りに古巣のロンドンへ行った。 まだバブルだった頃、日本企業が冠スポンサーについており、私はその仕事で毎年夏になるとブレゲンツに張り付いていた。ここ十年で町が大いに発展したことに驚かされる。音楽祭の舞台監督であるスイス人Kさんと、これまた十年振りで再会し、今年のステージを案内して頂いた。プッチーニ「ラ・ボエーム」の、非常に凝った舞台である。現代パリのカフェの椅子や灰皿や絵葉書入れがガリバーの国のように巨大化されて背景となっている。 夜にKさんの手配してくれたモダン・バレーを見た。白人に混じって一人だけ東洋人が見事な肉体を晒しながら踊っていたのが、目を引いた。翌朝、宿泊していたホテルのバルコニーで朝食しようとすると、その東洋人ダンサーがいた。 目が会って「昨日のパフォーマンスは良かったですよ」と英語で言うと彼が礼を言い、私はそのアクセントから「ひょっとしてシンガポールの方ですか?」と喝破すると彼は目を丸くして「あなたは日系アメリカ人とお見受けしますが」と言い、「いや。日本人ですが、シンガポールに在住です」と返すと、同じテーブルで朝食しないか、と彼。楽しく話した。彼は次々とバルコニーに現れるダンサー仲間にそれぞれ異なる欧州の言語で声をかける。スペイン語とイタリア語とドイツ語とオランダ語と北京官話の他に二種類の中国語方言、そして英語を喋ると言われて驚いた。NUSで社会学と心理学を学んでから国を出て十年になるが、踊りながら欧州各国にそれぞれ住んで覚えた語学だという。経済を最優先にしてきたシンガポール国内で本物のアーティストを見つけるのは難しいが、案外こうした才能が海外に流出しているのかもしれない。 「毎年シンガポールには帰ります」と彼。「あそこは僕にとってディズニーランドですね。ただホーカーズに座って周りを眺めているだけでもスペクタクルで、その匂いや色や幸せそうに食べている人々の様子が遊園地での出来事みたいに思えてくるわけです。僕の子供の頃はもっとリアルな光景があって、今でも祖母の古い家の佇まいや色や影や独特の匂いを覚えていますけど、そういうものは一切消えてカラフルな近代建築に取って代わられました。シンガポールはディズニーランドです」 文化発展途上国シンガポールのダンサーをオーストリアの劇場で目にして彼と愉快に朝食する…旅にはこういう不思議が詰まっている。 (4 June.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro) |