『アジアの路上で』
          文・戸田光太郎
 第9回  「ないものねだり」

 アムステルダムに住んでいた頃、半年ごとに日本へ出張すると、気を利かせたつもりの東京の友人達が(欧州在住の戸田が来日するのだから西欧料理でなければ)と気張って評判のフレンチ・レストランに予約を入れてくれたりしたものだ。で、僕は幹事に直訴する。「ねえ、横飯(ヨコメシ=西洋料理)は食べたくない。縦飯(タテメシ=日本料理)がいい」 

 故ならアムステルダムからはいつでもパリまで車を転がして本場フランス料理を食べられたからだ。気持ちはわかるが、どうして東京くんだりまできてヨコメシを食べなきゃいけないのか。だから私の出張中の食事は、天麩羅、寿司、鰻、蕎麦、しゃぶしゃぶ、ソース焼き蕎麦、すきやき、おでん、焼き鳥、串焼き、居酒屋、和風ラーメン&餃子、と和食一色で塗り潰されるのだった。

 ンドンにも長く住んだが、イギリス飯は不味いので、ソーホーにある欧州最大の中華街には足繁く通った。ところが今回、一週間ほどロンドンに滞在したのだが、一度も中華街では食べなかった。だって、シンガポールに住んでいる現在、中華は飽きるほど食べられる状況にある。そんな私が英国上陸直後に食べたのは、フィッシュ&チップスとギネスを一パイントだった。旨かった。住んでいた頃は、こんなものは腐るほど食べて飽き々きしていたのだが、勝手なものだ。

 本から欧米に出張する人は現地の駐在員に無理矢理日本料理屋に引っ張っていかれて閉口することが多い。駐在員は出張者をダシにして和食を経費で食べたいのだ。一方、出張者は毎日でも和食を食べるに不自由しない環境にあるので、出張先の不味い現地風和食など食べたくない。できたら、現地のボルシチなり、ローストビーフなり、チーズフォンデュなりを食べたい。結局、これは年功序列でどちらに傾くかは決まるのだが。
 確かに私もロンドンで日本からの出張者を何度も和食に連れて行って顰蹙を買った。単に自分が食べたいので引っ張っていったのである。これにはしっぺ返しがきた。

 近、東京で当の出張者の会社の人々から神田のロシア料理屋に連れて行かれた。私はモスクワに長期滞在してほとほと現地料理に辟易した経験があるのだが、「戸田さん、でも、これは日本人の口に合うし、本当に美味しいから」と騙されて行ってしまった。
で、私は驚いた。

 が本場そのままに再現されていたからだ。ロシアは貧しいし、流通も遅れているから、食材は新鮮でなく、ぐつぐつ煮込んだ肉や野菜が多い。そういう料理が出た。新鮮な材料が満ち溢れる日本で、何が悲しくてこんな料理を食べなくてはいけないのか、と侘しい気持ちになった。
が、若い女性社員達は特に「美味しい!」と盛り上がっているのだ。

 えてみると人間は、あの馬鹿げた油まみれのフィッシュ&チップスでさえ美味しいと感じる不思議な動物であり、また、自国に不在の料理を「ないものねだり」する、極めて贅沢な生き物なのである。





(11 June.2001「星日報」より All right reserved by TODA Kotaro)

<表紙に戻る> <アジアの路上で>