「フランクフルトの酔っ払い」

戸田光太郎  


張でフランクフルトを徘徊していたら携帯が鳴った。会議が一本ドタキャン=土壇場キャンセルになった。フランクフルトの日本企業は地理的に八方に散っているから時間のロスが大きい。時間的余裕を織り込んでスケジューリングしていたから、そこでポッカリ二時間空いてしまった。


て、フランクフルトの自社事務所に寄って仕事するという手もあるが往復するだけでかなり時間を食う。決めた。近くの美術館に向うようタクシー運転手に頼む。当地には何度も来ているが、美術館は初めてだった。入場無料。鞄をクロークに預けて散策した。


州の美術館にはその都市や近郊の風景画が置いてあり、日本ほど風景は激変していないから現在と比較して楽しめる。巨大風景画の中の空気を感じたり人々の姿や生活のあり様を眺めていると、楽しい。


、そこに一枚のムンクがあった。ムンクはオスロの美術館で纏めて見たことがあるが、この絵は画集でも目にしたことがなかった。飲み屋を描いた小さな作品だ。酔っ払いが中央に立っている。これが、まあ、なんというか、世界中の、無気力で生気のない、みすぼらしい万年酔っ払いの凝縮された姿であるかのように、ゆらりと立っているのである。筆致は例のムンク流なのだが、存在がリアルだ。


、バーカウンターに両手を突いて応対している、でっぷり太った店のオヤジの態度が「あんた、また来たのかい?」てな、酔っ払いに対する諦めを漂わせていて、これまた極めてリアルなのである。


こには世界中の酒場が象徴的に活写されている。一方、これを見て、酒好きな私でも直ちに酒を飲みたくなる、という絵でもないのだ。ムンクが酒好きだったのかどうかは知らない。一滴も飲めない御仁だったなら、こんな絵を描こうとは思わなかったはずだ。が、酒を愛しているなら、こんなにあられもないリアルな真実を描きはしなかったろう。酒飲みには、恐い絵なのだ。


はかなり長い間その絵の前に佇んでいた。ムンク自身は決して健康とは言い難い心を抱えながらも結局は八十一歳まで生きた画家だ。三十歳でベルリンに滞在中、居酒屋「シュヴァルツ・フェルケル(黒仔豚)」に集まる反自然主義的ボヘミアン・グループに交わっていたから、この絵は当時の観察なのかもしれない。


こには酔っ払いの集大成、世界中の希望を失ってしまった人の象徴的な存在がある。感服した。どなたか、ムンクにお詳しい方、どうかこの絵の周辺事実をご教示頂きたい。

  (「英国ニュースダイジェスト」コラムより)

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