「エジプト人と郷ひろみ」


戸田光太郎  


 身の人間が好きなので私はあまり美術館や博物館にはいかないタイプなのだが、久しぶりに大英博物館に足を運んで古代エジプトの展示物を見てしまった。
最近、フィンランド人作家ミカ・ワルタリの書いた長編小説「エジプト人」を読んで感心したからだった。


 もそもフィンランド人が書いた紀元前13〜14世紀エジプトが舞台の小説なんて、普段の私なら絶対に手を出さないタイプの本だが、(ストーリー性の強い骨太な物語を読みたいな)と思い、強いて読んでみたのだが、当たりだった。
主人公の設定がうまい。医者なのである。当時の医学は非常に発達していて脳外科的なことまでやってしまうのに驚いた。大英博物館の展示物を見ると非常に洗練されていた当時の文明が明らかだ。医学も高度だった様子。人間は本当に進化しているのか疑問に思える。


 半世紀前に私の祖母が死んだ時に思ったことだが、世代が入れ替わると記憶の方もゼロに戻る。人間なんて二代も溯ると、前の世代が何を考えていたかなんてほとんどわからなくなってしまうのが普通だ。苦労人の祖母が亡くなった時、軟派な高校生だった自分には何ら彼女の努力や経験や知恵は継承されていなかった。祖母のような一般人でなくても、作品を残す物書きや芸術家でもすぐ消えていく。そのタイムスパンは長くて五十年くらいだ…先週日本出張して時差ぼけで真夜中に目覚め、深夜番組を見ていたら郷ひろみがキャイーンというロクでもない芸人コンビに「水なしで一分間に四枚クラッカーを食べること」と命じられていた。

 盛期の郷ならキャイーンを叱ったろうし、そもそも、こんな深夜番組には出ないはずだ。だが、現在の郷は何ら葛藤も屈託もなく喉を詰まらせながら水なしで一分でクラッカーを食べようとしたのだ。失敗したが。全部口に入れたものの嚥下できなかった。こんなことを四十男、しかも「腐ってもスター」にさせるな。郷もヘラヘラしてないで、飢え死にしても変なCMや深夜番組には出るな。とは言っても郷も生身の人間で、慰謝料や養育費を払うためにはクラッカーを食べるのだろう。空しい。

 多田ヒカルが出てきたらUAもMISIAも忘れてしまった日本国民だから郷などクラッカーがせいぜいなのか。そんなことまで考えてこの小説の紀元前を考えると何代溯るのか。人間が七十歳くらいまでに学ぶことは代が変わればまたチャラになってゼロから繰り返されていくとしか思えない。祖母の好きだった戦前の俳優なんて異国の地図に記された小さな村の名前のようなものだし、今の若者が老人にれば宇多田ヒカルは誰も知らない芸能史の一行になる。


 こまで考えさせるほど「エジプト人」の世界は濃厚で、(やれやれ、人間は同じ事を延々と繰り返しているだけではないか)という思いを強くしたのである。

  (「英国ニュースダイジェスト」コラムより)

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