「シシリアのオバサンと日本のアイドル」
戸田光太郎
- アムステルダムに住んでいた頃、知人がシシリア島から来たゲイ集団を引き連れ、
皆で町中に繰り出した。彼等のいく先々は、イタリアの情報誌でピックアップされた
ゲイ・スポットがほとんどで、ストレートの私には無意味だった。
が、この中のヒョウキンなシシリア人の隠し芸には笑い転げた。自分の親戚のオ
バサンがシシリア島で洗濯物を干す、というそれだけの芸だったのだが、青年演じる
オバサンは何かブツブツ呟きながらピョンピョン飛び跳ねて見えないロープの端から
次々とバーチャルな洗濯物を干していく。恐らくとても強いシシリア訛で言っている
のだろうが、日本人の私にもそのオバサンのキャラクターが伝わって、彼女の(なん
だろね、この天気は、まったく、近頃の若い者ときちゃ、ほんとにまあ、物価は上が
るし、やってらんないよ、ったくもお)という響きが聞こえてきて非常にリアルで見
事だった。東洋人の私がシシリアのオバサンの方言を完璧にコピーして、イタリアの
酒場にでも出向いて、ピョンピョン跳ねながら芸を披露したら受けるだろうなあ、と
真剣に思う……。
ということを考えたのは、フランクフルトのブックフェアの帰りに英国に立ち寄
った日本の出版社に勤務するMさんと、ロンドンの「ノブ」で食事した時だった。M
さんがフランクフルトで食事していると、テーブルにいた一人のアメリカ人出版業界
人が、Mさんの前で立ち上がって左手をヒラヒラさせながら、何か歌い出した。日本
語だ。
呆然とするMさんにアメリカ人は語ったという。彼は七〇年代、日本に行ったこ
とがある。その滞在中テレビ画面で奇妙な光景を何回も目にした。日本の可愛いティ
ーンエージャーの女の子がフリフリにフリルのついた白いステージ衣装で左手をヒラ
ヒラさせながら時々膝を曲げて歌っていたのだ。これはデビッド・ボウイやピンク・
フロイドを聞いていた耳には衝撃だった。
その衝撃はアラスカの暖炉奥に眠る火種のように、ずっと彼の中で燻(くすぶ)
っていた。
(あの娘の左手のヒラヒラの歌は何だったのだろう?)
それが氷解したのは割りに最近、ニューヨークで知り合った日本人によってだっ
たという。「それ、七〇年代にブレイクしたアイドル歌手、麻丘めぐみの『私の彼は
左きき』です」と言った律義なその日本人は、CDと「懐かしの」特番からビデオま
で送ってくれた。それを繰り返し見て振り付けと歌詞をコピーした彼は、全曲を披露
してMさんを驚愕させたのである。
無駄な情熱は美しいのだ。
- (「英国ニュースダイジェスト」コラムより)
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