「海と潮風の哲学者」
- 戸田光太郎
- セイシェルでもカリブでもよかった。欧州に住む者としては太陽が欲しい。正月くら
いは日本で本を大量購入したい、ということもある。で、日本と南国を組み合わせて
いた。去年は沖縄の島々を組み、今年は北マリアナ諸島にあるロタ島を。この島、私
も最近まで知らなかったが、スタイリストの友人Rさんが「撮影で行ってスッゴクよ
かった」と言ったので、それを信じた。彼女、ウクレレ修業で毎年数カ月はハワイで
過ごす南国フリークなのだ。
成田に着いた翌朝のノースウエスト便でサイパンに飛び、そこからプロペラ機で
移動した。島は米国自治領でドル決済。島民はチャモロ語で意思疎通している。我々
とは日本語か英語。ロタ・ホテルにチェックインし、レンタカーで島巡りした。すぐ
近くのテテトビーチが美しい。潮の流れは強く、上流で潜って無数の熱帯魚に魅了さ
れていると、アッという間にビーチの終わる珊瑚礁まで流される。いくら早い泳ぎ手
でもこれに逆らうのは難しいだろう。
ホテル専属のチャモロ青年ジェイソンの案内でロタ島南西の珊瑚ガーデンでシュ
ノーケリングした。ここは外海に出るまで浅瀬が続き、珊瑚が鋭利な歯を剥く。波も
強い。ジェイソンの忠告は「波に逆らわず早めに水平に浮かべ」だった。波に抵抗す
ると足をすくわれる。逗子の砂浜育ちの私は珊瑚には弱い。早速、波にすくわれ、足
ヒレに覆われていない踝を少々切った。色黒で相撲取り体型のジェイソンは、波と同
化してスイスイ進んでいく。珊瑚ガーデンの深みでは、悠に二十メートルは素潜りし
て数分滞留した。小錦のような体がスイスイと海底に降りていき、再びアドバルーン
のように浮上してくる光景は壮観だった。
二時間ほどシュノーケリングして陸に上がると彼は、初めて素潜りした日のこと
を話してくれた。「五ガロンの水を飲んだよ。五歳の時だけど」。日本語は流暢だが
、使い慣れた英語に切り替えた。「僕は若い頃は三十メートルまで素潜り出来たけど
最近は衰えたね。海に人間が逆らおうとすると溺れる。無理しちゃいけない。海の声
を聞いて海と語り合って、海の気持ちにならないといけない」。関取ジェイソンが海
の哲学者に見えた。
この島は、ドイツ領だったり、日本領だったりと忙しかったようだが、チャモロ
人にはそれほど影響がなかったのではないだろうか。現宗主米国もこの島には戦略的
に重きを置いてないようで、入国は適当だったし、舗装道路も島を半周したところで
途切れていた。島では日本軍の高射砲や戦闘機のプロペラらしきものも目にしたが、
風化が激しくて例えば「三菱重工」などという文字は確認できなかった。
潮風が洗い流したのだ。
- (「英国ニュースダイジェスト」コラムより)
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