戸田光太郎
ミュンヘンの空港でロンドンへの便をゲート傍のバーで待っていた。白ソーセージを蜂蜜マスタードで食べながら、白ビールを飲む。ガラス張りの無味乾燥なミュンヘン空港での唯一の楽しみがこれだ。背広に髭、長身のドイツ人青年と目が合う。と、彼が「コニチワ」と言った。私は「こんにちは」と正しいNHK発音で返し、面倒臭くはあったが、相手が聞かれたがっている質問をしてやった。「日本にいらしたのですか?」。彼が首を傾げたので同じ言葉を英語で言う。と、彼は英語で返事した。「はい。凄く短い滞在でした。凄く」
で、怒涛のごとく喋りだしたのである。彼はX線の専門家で非常に忙しく立ち働いている。自分でもレントゲン撮影をする。更に教育、実地訓練、学会での報告。それらが同時進行して非常に多忙なのである。だから週末に東京で学会があった週もスケジュールがタイトで、どたばたしていた。秘書に航空チケットを手配させたが、彼女も来客や社内会議や資料配布でてんてこまいだった。とにかく彼は金曜日の夕方には全てをやっつけて日本に向かった。まだ彼は学会での報告には手をつけていなかった。時間がなかったのだ。とりあえず、膨大な資料はコピーして手荷物鞄にある。ラップトップ・コンピューターも持ち込んでいる。用意周到に換えのバッテリーも持参した。彼は資料を分類しながら、離陸して安全ベルト着用サインが消えると同時にパワー・ポイントを立ち上げてプレゼンテーションを作り始めた。落ち着いてくる。考えはクリアだし、これを形にすればいいだけだ。内容は空で言える。これを素人でも分かるレベルで平易に組んでいけばいいだけだ。十時間もあれば、かなりいいプレゼンテーションが組み立てられるはずだ。徹夜というのは学生時代からの習慣で慣れている。
で、彼はプレゼンテーションを完成して成田に到着した。が、乗務員のアナウンスに衝撃を受けた。東京は既に土曜日の夜になっていたのだ。学会は終わっていた。彼は翌日曜朝の便でドイツにトンボ返りした。今度は同日曜にはドイツへ戻っていた。アインシュタインの相対性理論を理解する彼にも、これは不可解だった。そして翌月曜日、病院では院長から大目玉をくらったのだ。「で僕の日本滞在は凄く短い時間でした」