戸田光太郎
子供の頃、友人宅に遊びに行くと、それぞれの家ごとに特別な匂いがするのが不思議だった。その家族の体臭に食生活が滲む。犬を飼っていれば獣の匂いが混ざり、赤子がいれば甘酸っぱいミルクとゲロが漂い、老人が居れば抹香臭くなる。子供の頃は嗅覚が敏感だったのだと思う。友達の家に一歩足を踏み入れば、古本の匂いや家具の香りや縁側のトクホンの臭いまで瞬時に嗅ぎ分けた。警察犬みたいな少年だった。でも、それぞれ子供は自分の家の特別な匂いに気付いていないようだった。私も自分がドップリ浸かっている匂いは嗅ぎ取れなかった。もし自分の家がウンコ臭かったらどうしようと私は心配した。それで友達に質したことがある。 「ねえ、僕のウチって、どんな匂いがする?」
でも友達は無関心だった。「わかんないよ、そんなの」
昔を思い出したのは、ロンドンの大学で東洋学を勉強しているアメリカ人美青年Jと話したためだった。
Jはとっても明るく気さくで、友達が多い。全然陰のないタイプなのだが、一つの話題だけは彼を落ち込ませる。父親のことだ。
Jの父はコンピューター技師で音楽家だった。天然パーマの赤毛を肩まで伸ばしてハーレーに乗っては女の子をひっかけていた。一種の天才で、コンピューター分野でも音楽業界でも知られていた。母親も有機食品に凝ってメディテイションするような人だった。Jが14歳の時、父は家出し、数年後に死んだ。Jの大学進学基金も使い果たして。そんな家で育ったJが初めて友人の家に泊めてもらった8歳の時だ。友達の両親が夕食後にシャワーを浴びるところまではJの家族と一緒で(はあん。やはり、どこも一緒なんだ)と思ったという。が、その後が違った。両親はパジャマに着替えたのだ。これがJには衝撃だった。「だって僕の家じゃ、シャワーの後はいつも家族全員裸で居間をぶらぶら歩いて、両親は気が乗るとソファでメイク・ラブしてたし、僕はてっきり、どの家もそうなんだろうと思っていた。だから友達に小声で聞いたんだ。『ねえ、君の家では、いつもパジャマ着るの?』って。『そうだけど、なぜ?』と聞き返された時には世界観が変わったよ。パジャマを着て寝るだなんて、想像の外側さ」
自分では、自分の家の匂いは嗅げわけられない。