戸田光太郎の2000年日記

2000年11月1日〜2日

2000年
11月1日(水)

ただ酒をじゃんじゃん飲んで、昨晩の深夜便は朝6:30成田に着く。
7:49のモーニング・ライナーまで足がないので、空港でこの時間に唯一開い
ている4Fにある「カフェ・ラ・ミル」でツナと卵のサンドイッチとコーヒー。眠
そうな女子従業員が作っている割には丹精な出来で、コーヒーも旨い。
ライナー駅まで降りて一時間後に上野駅に到着するとN社長が僕をホテルに落と
してから昨夜編集したテープを持ってダッシュした。
N社長はシンガポール航空のロス行きの便が墜落して70人ほどが死んだと言っ
ていた。
ロビーで英国人上司Cに電話する。22階だというので上がる。シャワーを使わ
せてもらう段取りになっていた。
部屋は広かった。アップグレイドされたのだという。居間のテーブルには書類が
広げられていて、ラップトップと携帯が並んでいた。
つけっぱなしのテレビでは、CNNがシンガポール航空のロス行きの惨劇を報じ
ていた。
「ひどいね、これ」と僕。
「本当に」とC。
「シンガポール航空は安全性がウリだったはずだけど」
「それは争点になっている」
続きのベッドルームも広い。
窓は不忍池に面していた。いい眺めだ。
バスルームもこれまた広い。
ジーンズとシャツを脱ぐ。急に寒くなった東京では成田についてからこっち、こ
の格好は寒かった。バスタブにお湯をためて浸かる。
スーツに着替えてCと打ち合わせ、出陣した。
英語の達者な広告代理店Kさんと打ち合わせ、彼が帰ってからも引き続きN社長
と打ち合わせ。弁当を食べて激論。
Cはシンガポールの英国人CEOのFと電話で状況説明する。
午後に本番の会合。
これがなんとか、悪くない運びだったので一緒のスカイライナーでCはシンガ
ポールに戻り、僕はJALで、次の目的地の香港に向かった。
日本酒とフランス赤ワインを飲む。
飛行機が落ちたら、こんな快楽は味会えないわけだから、というのが自分への言
い訳である。
香港に着いたのは11pmを過ぎていた。
九龍のハイアット・リージェンシーにチェックイン。
着替えて散策し、煮込み麺にビール。強烈。体にわるそう。こんな生活をしてい
ていいのかな。

11月2日(木)


朝、宿泊しているホテルでF社長とブレック・ファスト・ミーティング。F社長
が運転手付きの車で次の会議まで送ってくれる。
会議後は地下鉄、MRTで局の香港事務書まで行く。
Kと中華料理屋でディムサムの昼食。
リエの誕生日プレゼントを探す。
宝石屋で粘って交渉して買う。いい物だと僕は思うが、彼女がどう思うかわから
ない。
夕方、広告代理店S支社長と面談。
また事務所に帰ってインターネットでメールをチェック。
女性社員3人(中華系ニュージーランド人、フランス人の夫がいる在香港10年
の中華系シンガポール人と在2年の中華系シンガポール人)に連れ出されてタク
シーで香港島に移動してバーでシャンペンを飲む。
「アリバイ」という店に河岸を変えて、マティーニを飲む。この店は特に白人ばか
り。
ライブの店に移動して皆で食事して踊る。
タクシーを拾って九龍半島のホテルに帰ったのは午前一時。



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