戸田光太郎の2000年日記

2000年1月7日〜9日

2000年
1月7日(金)

ヒースロー空港からダブリンに飛ぶ。フライトが25分遅れる。タクシーに乗っ
てイアンの携帯に電話すると、もう会場のクラレンス・ホテルについているとい
う。MTVのタレント渉外担当のイヴも既にそこにいると知らされた。まずい。
ようやく到着し、会場のスイートに駆けつけ、イアンに挨拶。
続いて、イヴとMTVの広報担当女性に挨拶。
会場を設置し、商品が搬入される。
やがてボイゾーンのマネージャーが到着した。痩せて眼鏡をかけた、ゲイみたい
にソフトな人だ。常に携帯と話している。
コーヒーが配られ、僕はシャンペン開栓にゴーサインを出した。
ここから先の記述は、アイルランドのポップ男性グループBoyzoneのファンでない
と何がなんだか分からないだろう。
五人の中で最初に現れたのはシェーンだった。黒い毛糸の帽子を目深に被り、バ
ゲットのサンドをもぐもぐ食べながら明るく挨拶する。イアンに、「食べる?」と
冗談で齧りかけのサンドを差し出した。彼は悪戯っ子みたいな感じで待機するス
タッフと雑談し、下町の青年然としている。
次は、非常に小柄なスティーブンが現れた。白い毛糸の帽子を目深に被り、買い
物袋を下げている。シャイでいて悪戯っ子っぽい目をしていてフレンドリー。握
手する。シェーンには鷹揚に演技している奥に、青年としての純な怯えがあって
可愛いが、スティーブンには全く邪気がなくナチュラル、そのまんま、の感じが
あった。
そしてローナンが来た。弊社MTVのヨーロッパ・ミュージック・アワードでは
1997年のロッテルダムと1999年ダブリンの司会を務めてもらった青年
だ。
ローナンは「開かれた」顔をしていた。瞳がオープンで、好奇に満ちている。自分
の置かれた位置と状況が明確で、どう振舞えばいいか分かっている聡明な目だ。
第一、飛び抜けてハンサムなのである。彼は芸能界を生き延びるだろう。政治家
になりたいとも表明しているが、確かに資質としては備わっている。まだ複雑な
ことは考えられないだろうが、スタッフさえ揃えば、アイルランドのクリントン
になれるだろう。小ずるく計算する男のようにも見えない。途中で潰される可能
性もある。
次に到着したのが長めの金髪に、皮の黒コートを纏ったキースだ。彼の顔は、
ローナンと正反対で、「閉じている」。
物凄く何かを考えているのか、物凄くシャイなのか。ちょっと格段に内向的で、
目に不安が宿っている。暗い。ずっと携帯のイアフォンで話していた。
あと一人足りないが、30分経過しているので、ローナンが呟いた言葉を合図
に、僕はイヴと女性カメラマンに、「一応、商品と一緒に押さえとこう、個別アン
グルで」と指示して撮影をスタートした。最後の一人を落としたとしても、とにか
く絵は押さえておきたかったのだ。
と、ほどなくして、最後に小柄なマイキーが「交通渋滞で」と言い訳しながらジー
ンズと白セーターという軽装で到着した。顔には「二日酔いで寝ていました」と書
いてある。でも、僕は個人的な友人になるのだったらマイキーみたいな奴とは馬
が合うだろうと思う。ヌボーっとした憎めない笑顔の持ち主だった。
でも、まあ、芸能界で生き延びるのはローナンだろう。美貌と野心。モーパッサ
ンの描いた「ベラミ」みたいな青年である。彼はその方面の才能は飛びぬけている
と感じた。
撮影が終わると、今晩あるBoyzoneのコンサートは辞退して、ロンドンに戻った。
無料チケットを無視するなんて、ファンには国賊モノだろうが、仕方ない。僕は
湯川れい子ではないし、彼らはビートルズではないのだ。
実は僕はビートルズのことをずっと考えていた。ボイゾーンのマイキーが半時間
遅れてきた時、ローナンは時計を見て「次の用事にそろそろ出なきゃいけないんだ
けどな」と囁いたのだ。それで僕はマイキー抜きで撮影を開始したのだが、考えて
みると彼らはとにかくいつも五人が揃わないと仕事にならないのである。ウンザ
リするだろう。YMO解散の発表後、坂本龍一は他の二人と一定期間強制的に解散ツ
アーすることを「動く監獄」と言っていたくらいだ。もともとボイゾーンはモン
キーズみたいな企画バンドとして集められたメンバーだから、幼馴染でもなんで
もない。幼馴染のダウンタウンだって所帯持ちの浜ちゃんが独身の松っちゃんに
合わせるのは苦痛だろうし、それぞれパートナーが出来たビートルズの後期は、
記録映画「レット・イット・ビー」で見たように、気持ちは空中分解していた。ア
クターズ・スクールのSPEEDだってそうだ。単体では販売不可能なことを自覚して
いるMAXくらいのものだろう、この、「動く監獄」状態に耐えられるのは。僕はボイ
ゾーンは早晩、単体販売可能なローナンが抜けるかして、解散すると思う。ヒロ
がブレイクして軋轢が生じたSPEEDみたいなものだ。
ヒースロー空港に到着して電話すると、リエは日本から帰っていた。寝ていたよ
うでムニャムニャしている。
僕は金曜の夜の渋滞を鑑みて、ヒースロー特急でパディントンに向かった。
帰宅して読書。久世光彦「ひと恋しくて」△。バクシーシ山下「セックス障害者た
ち」○。五木寛之「風の王国」×。五木は出来不出来の高低が激しい。
時差ボケは読書を助けるが、健康を蝕む。

2000年
1月8日(土)


午前一時と四時に時差ぼけリエが目覚め、僕も付き合いで起きる。
ベッドでぐだぐだしていたが、正午になる前には諦めて、このHPの管理者、宮さ
んとも行ったことのある、リトル・ヴェニスの橋の上のカフェでブランチを摂
る。
リエは絞りたてのオレンジ・ジュースとヨーグルト。僕はカルボナーラとサラダ
と赤ワイン。食欲がない、と言っていたくせにリエが僕のカルボナーラを盗むの
で、カルボナーラだけ、追加注文する。イタリア人男性スタッフの愛想良さと
いったら、ない。運河の景色も極上。
食後はマーケットまで歩き、買い物し、パブに入り、エッジウェアまで歩き、
マーブルアーチまで出て、セルフリッジをぐるぐる回るリエを置いて僕は食堂で
昼からワインを飲み、リエが戻るとオックスフォード・サーカスからメイダ・
ヴェイルの自宅に帰った。
村上龍編集の経済本「日本の選択した道」○とナンシー関の「何の因果で」を読了。
村上龍は「愛と幻想のファシズム」以来、経済の勉強は続けているようだ。

1月9日(日)


晴天。リエとリージェントパークまで散歩。池沿いに歩く。白鳥と鳩の群れ。福
岡の大濠公園も美しいが、水鳥は格段にこっちの方が多い。ピカデリーサーカス
近くのスターバックスでお茶した以外は、とうとうコベントガーデンまで延々と
歩いてしまった。リエは「ナイン・ウエスト」の靴がフィットして、足も痛くない
という。帰りに中華街の「ニュー・ダイアモンド」で食事。残念ながら、名物のマ
テ貝は売り切れ。でも、相変わらず旨い。
帰りは地下鉄。朝抜いたシャンペンの残りを飲みながら、バスタブに浸かって読
書。河出書房新社刊「テレビ・知りたかった大疑問」△を読了。続いて「Sunday
Times」と「週刊文春」と「女性セブン」を読む。キムタクと工藤静香が「半同棲」とあ
る。キムタクは人気ブレイク前に工藤の一ファンだった。一方の工藤は猪突猛進
型恋愛のヒトで彼に惚れて一直線だという。キムタクは、工藤の両親も住む彼女
の自宅に通っており、結婚する可能性もあり、と。「女性セブン」は時々読むと面
白い。文春は19歳の時の吉永小百合の写真が良かった。
頬がパンパンに張っていて可愛い。この娘も55歳なのである。
この日記の読者から福岡の「ニュー・ブランド・ビルディング」とは「スーパー・ブラ
ンド・ビルディング」ではないかと指摘があった。有り難い。その通り。「スー
パー・ブランド・ビルディング」とは冗談のような名前だが、真面目に立派な建物な
ので、ネーミングが物悲しくなってしまうのだ。

(おまけ画像その1)冬のリージェントパーク、ほんとに鳥が多い。

(おまけ画像その2)鳥に餌をやる人、日本でも最近このような人をよく見るようになったが。

Photo by MIYA ,8 Dec.1999 .London



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