戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年5月3日


2001年
5月3日(木)

朝7時に起き、ぐずぐずしているリエを起こして荷造りする。
8時にホテルを出て地下鉄でヒースローに向かう。
チューリッヒに飛んだ。
シンガポールの家を出てくる時に英国の運転免許がどうしてもみつからなかっ
た。確か英国の免許でスイスでは運転できるはずだった。国際免許だけは出てき
たが、これが、1999年の12月に取得したものなので、2000年12月で
切れている。半年も経っていないのだから、いいじゃないか、とも思うが、レン
タカー屋や官憲がどう出るかは謎だ。しかし、スイスを車無しで移動するのはつ
まらない。特にスイスが初めてだというリエを連れているからには車が必要だ。
で、ロンドンの文房具屋でインク消しと年月スタンプと黒インクのスタンプ台を
買って国際免許の日付を変えた。公文書偽造だ。これを持ってチューリッヒ空港
のレンタカーのカウンターに行き、担当と冗談を言い合いながら、クリオを借り
た。髪を染めて偽パスポートで国境を越える暗殺者ジャッカルのことを思い出し
たが、担当は免許の日付も確認せずにキーを渡してきた。
チューリッヒを出てサンク・ギャランへ向かい、国境を跨いでオーストリアに
入った。車が増えた。
ブレゲンツに向かうとますます渋滞になる。
道路わきがどんどん開発されて建物が多くなっているのに驚いた。
仕事でここに通っていたのはアムステルダムに住んでいた1990年のことで、
もう11年も前になる。変化があって当然だろう。
しかし、こうしたコマーシャリズムは僕にとっては少々がっかりである。
何もない欧州の田舎町だったブレゲンツを懐かしく思う。
町中も開発されたので迷ってしまった。
ホテルを探す。
丘の上にあった古城ホテルに行くが、その辺の一角も変わってしまった。
古城ホテル側に入る門は変わっていない。
化け物魚の剥製が吊るされていて、これにリエが怯えた。
丘を降りて近くのホテルに入り、レセプション嬢から電話を借りて、10年前の
ブレゲンツ音楽祭で知り合ったスイス人舞台監督Kさんのオフィスに電話した。
彼にはEメールで連絡して宿を取ってもらっていたのだ。秘書が出てきて「戸田さ
んね。伺っております。ホテルは見つかりましたか?」と聞かれる。
「それが、その、迷ってまして」
「今どこにいらっしゃいますの?」
「それが皆目」僕はその電話をレセプション嬢に渡した。ドイツ語でやりとりがあ
り、彼女が笑った。「ここがあなたの探してるホテルですよ」
僕は受話器を握り、「とんだ間抜けでした」と言った。
秘書は笑い終わってから付け加えた。Kさんは所用を終えてからまたホテルに連
絡してくる、とのこと。
僕は車をホテル裏手の駐車場に停めてチェックインして、風呂に入り、シャンペ
ンを抜いて飲んだ。リエは、疲れた、眠い、と呪文のように唱えている。
電話があり、18:20にKさんがホテルまで出迎えてくれる、ということにな
る。
10年ぶりのKさんは白いものが増えて、ますます物静かな感じが強まってい
た。
リエと三人でフェスティバル・ホール方面へ歩く。
町も近代化された。建物も増えた。ツーリスティックな面が強まった。
欧州最大の湖、ボーデン湖畔を歩く。
花が咲き乱れ、ヨーロッパの真髄である。
美しい。欧州大陸に住んだことのないリエは大喜びだが、ヨーロッパにはこんな
場所はいくらでもあるし、10年も住んだ僕はそんなに特別な思い入れはない。
住めば絶対に退屈するだろう。
フェスティバルのビルは拡張されていた。
天井が高く、空間を広く取ったミニマリスムな建物で、すっきりしてる。
Kさんの重役オフィスに案内された。
広い。製図版に今年の舞台がトレースされている。
整頓されている。観葉植物があり、窓からの眺めがいい。
フェスティバルは順調に成功しているようだ。
Kさんのオフィスに荷物を置いて、今年の夏に初公開となるボーデン湖上のフ
ローティング・ステージを見学した。出し物はプッチーニの「ラ・ボエーム」。
これが広い。300人以上が乗る要塞みたいなステージだ。
Kさんが作ったものだから、ご本人の解説付きでたっぷりとステージ裏からオー
ケストラ・ボックスからステージまでくまなく小一時間かけてツアーした。
ステージは現代パリのカフェの造りになっていて、巨大に拡大された灰皿とか
テーブルと椅子とか、カード立てなどが「カフェの象徴」として舞台の上にちょっ
としたビルのように聳えている。
リエはすっかり感動した様子。
なかなかこんな経験は出来まい。
Kさんのオフィスに戻って荷物を拾うと、総合ディレクターのSさんのもとに連
れていかれた。彼と会うのも10年ぶりだ。変わっていない。Sさんからは或る
メッセージを頂いた。心に留めておこう。
建物を出て、イタリアン・レストランBELLA PUGLIAに案内された。
Kさんは若い頃、舞台美術を学ぶため、フィレンツェに留学していたからイタリ
ア語はぺらぺらで、イタリア人店主と結婚したオーストリア人女将にイタリア語
で注文していた。
庶民的な店で、なかなか旨い。アンティパスタと店主手作りのパスタ。アンチョ
ビと肉の按配がいい。ティラミスとコーヒーで締めくくり、と思ったが、グラッ
パを何倍も飲んでいい気分になる。Kさんがご馳走してくれた。
もう一軒のトレンディーなパブでビールを飲み、なんだか次から次へと面白い話
しをして三人で笑いつづけたが、やたらと楽しくて幸せな気分になったこと以
外、覚えていない。
10年前、東京の神保町を歩いていて、Kさんと日本人の奥様のHさんとばった
り出くわしたことがある。
僕がアムステルダムに住んでいて、彼らがスイスに住んでいて、東京の神保町で
出くわすなんて奇跡だし、こうして10年も経ってから談笑しているのが愉快
だった。
「ブレゲンツは変わったろ?」とKさん。
「昔の何もない感じが好きだったけど」と僕が言うと、彼は笑った。
「でも、住んでる人間にとっては、こういうイタリアン・レストランが出来たり、
便利だし、町も活気付いて良かった。十年前に比べてヨーロッパは確実に開かれ
てきた。国境が消えて、欧州人意識が強くなった」
Kさんがホテルまで送ってくれて帰宅する。
心躍る素晴らしい夜となった。
有難うKさん。







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