戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年7月5日〜7月7日


2001年
7月5日(木)

2件ほどミーティングし、同時に日本で進行している案件の処理。
リエが買っていたオペラ「ドン・ジョバンニ」を見る。現代に舞台を移して英語で
歌っているが、つまらない。僕は何度も居眠りした。
席も悪い。遠いいし、柱がある。
中座した。
ポーランド通りのイタリア料理屋でリエとパスタを食べる。
これは相変わらず旨い。

7月6日(金)

午前7時45分オックスフォード通り集合。
といっても面子が集まるのは遅い。
8時をかなり回ってから、マークス&スペンサーで飲料水を買って大型バスに乗
り、F1のウィリアムズ・チームの本拠地に行く。
1時間以上のドライブで目的地に着く。
ウィリアムズ・チームの本拠地のコンフェレンス・ルームで一日会議する。
僕に関しては「復帰オメデトウ」というような賞賛で迎えられた。
最後にF1の歩みをウィリアムズ・チームの若い広報員がしてくれた。
コンフェレンス・ルームの外側には過去の車体が並んでいて興味深い。
1970年代はF1にオイル・マネーが吹き荒れたようで、サウジアラビアとい
うロゴがウィリアムズ・チームの車体に描かれていた。1980年代後半は日本
企業の全盛で毎年HONDAとCANONのロゴが入り、バブル最盛期には
SANYOが二年連続で加わり、SEGAまで入った。
これがバブルの崩壊と共に日本企業が消えてしまう。
スポンサーの歩みは世界経済の推移だ。
因みに現在のウィリアムズ・チームの車体はコンパック。
コンピューターが世界を牛耳っていることがわかる。
帰りのバスではマイクを握ってQUEENを歌った。
部屋に帰ると23時をまわっていた。リエは寝ている。

7月7日(土)

起きてから、またへヴィーな英国風朝食をたっぷりと食べて部屋に戻り、荷造り
をする。
リエは暫くヨーロッパに残るので、いくつか使わない荷物を僕のスーツケースに
移す。僕はこれをシンガポールに持ち帰るのだ。
チェックアウトして今夜はシングルの部屋があるかと聞くと、あるというので、
リエの部屋を取って先払いしておいた。明日、リエはユーロスターでブリュッセ
ルに行くという。シンガポールで知り合った通信社勤務の友人が移ったのだ。
荷を預け、ホテルを出て地下鉄で二人、ウォータールー駅に出た。
リエにユーロスターの往復チケットを買ってあげる。明日10時半発だ。
僕の所持していた現金ポンドは、とにかく全てリエに渡した。
英国の銀行のカードと暗証番号も渡した。
クレジットカードも渡した。
これで彼女にしてあげるべきことは全てした。
心配だが、困ることはないはず。
ベーカールー線でピカデリーサーカスに出て、元シンプソンズだった本屋で本を
買ってからヒースローに向かい、シンガポールへ向かう機上の人となった。







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