戸田光太郎の21世紀日記 2001年
- 2001年7月1日〜7月4日
2001年
7月1日(日)
- ぐずぐずと起きて夕方、タクシーでイーストコーストに出て「シ−スポーツセン
ター」の『パスタ・フランチェスカ・ダ・サルバトーレ』で港を眺めながらリエは
赤ワインをキャラフェで飲み、僕は白ビールで読書。
海風があって非常に気持ちがいい。
7月2日(月)
朝9時からの日本企業とのミーティングに制作部門トップの英国人男性Dと調査
部トップのインド人女性Sを引き連れて行く。
いい感触。
オフィスに帰り、定例会議。
パワーポイントのプレゼンを大急ぎで作り、東京にメール。
一方でクレームのメールが入っており、大至急調査し速やかに対処すると返事を
出して調査する。
CF制作会社のミスかもしれない。だが、こちらのミスと判明。コンペンセイ
ションのパッケージを考え、内部的に合意を得てから夕方、顧客に説明して陳
謝。了解された。有難い。感謝と陳謝、二つの「謝」は迅速でなければならない、
と痛感。
ブギスでストレートパーマをかけ、モデル事務所のオーディションに出ていたリ
エとノビーナの日本料理屋、一番星で落ち合う。
僕は待っている間、刺身に冷酒でラップトップを叩く。
彼女が来る。「パーマ屋さんが6時間もかけて作業してくれて、色々と食事も供し
てくれたのでお腹一杯」と言っていたくせに、鮪納豆、枝豆、天麩羅蕎麦、おで
ん、などをペロリで、ビールも二杯飲んでいた。
僕は新しくオーバーナイトのスーツケースを購入。最近、いくつもスーツケース
を使い潰している。まあ、出張ばかりではある。
タクシーで帰宅し、早速パッキング。
明日はロンドンに飛ぶので五時起きだから荷造りは今夜しておかないと駄目だ、
とリエに口を酸っぱくしてパッキングさせる。
旅の準備は一人でも面倒なのに、リエの監視もしないといけないのは二倍の労力
だ。
放っておいて自主性に任せたらいいのか、でもそうすると飛行機に乗れなくなる
し、まあ、甘えているとしか思えない。
7月3日(火)
5時起床。
僕は早朝に出立することが多いのですんなり起きるが、リエは電気をつけたり、
音を鳴らしたり、叩いたりしても起きない。これだけで二倍の労力だが、起きな
い彼女を置いていくわけにもいかない。
そもそも僕のフライトは9時だから、こんなに早起きする必要はない。出張に遊
びでついてくる彼女のフライトが取れずに別便のマレーシア航空7:45発と
なってしまったので付き合っているのだ。
とにかくタクシーで空港に向かった。
眠い、と文句を言い続ける彼女をチェックインさせてカフェ&バーでオレンジ
ジュースと西欧風朝食と海老蕎麦を食べてコーヒー。
美味しい美味しい、とリエの食欲は衰えを見せない。
彼女をゲートまで送ってからラウンジで白ワインを飲みながらラップトップを叩
き、時間が来て引き上げた。
機上ではすぐ寝て、起きてからは映画を観た。
久し振りの「アンタッチャブル」に感動する。ケビン・コスナーが若い。
公開当時思った通り、やはり白装束の殺し屋の顛末がすっきりしない。演出がク
ドいのだ、ここだけ。
続いて山田洋次の「遥かなる山の呼び声」を観て感動してしまった。「幸せの黄色い
ハンカチ」とどちらが先行する作品なのか覚えていないが、ストーリーは非常に似
ている。こちらの方が好きだ。
12時間のフライトで同じものがかかっているので、「遥かなる山の呼び声」を何
度も観てしまった。
かなり赤ワインを飲んだ.
ロンドンに到着。ヒースロー空港の第三ターミナルに出てWENDY‘sで暇つ
ぶししているとN社長から携帯に電話。同じターミナルに到着してタクシーに乗
るところだという。
僕はクアラルンプール経由で来るリエを待っているので後にホテルで落ち合うこ
とにする。空港から電話して明日のミーティングの確認。
リエを拾ってブラックキャブでオックスフォード通り350番のラディソン・エ
ドワーディアン・バークシャー・ホテルにチェックイン。
キャブは50ポンドもするし、宿も一泊200ポンドもする。これだけで約5万
円。ロンドンはとてつもなく高い。
広告代理店のS氏と全員で食事の予定だったが、テムズ川向こう、タワーブリッ
ジの袂にあるコンラン氏が作ったフランスレストランは予約で一杯。
ハイドパークコーナー近辺にあるVONGを予約した。
が、S氏から土壇場キャンセルが入ったのでレストランはキャンセルし、お疲れ
になったT社一行は近くで食べるということなので、僕は、明るいうちにまず散
歩がしたいというリエをオックスフォード通りからニューボンド通りjへと南下
して適当なパブに入ってフィッシュ&チップスとソーセージ&マッシュでシャン
ディとギネスという典型的なパブめしで済ます。
テスコで入浴剤とワインと果物とミネラル・ウォーターを買って、バスタブに浸
かってワインを飲んでCNNを観て休む。
7月4日(水)
伸ばしていた髭は剃った。
T社の方々と朝食を食べて9時半には予約したキャブでJ社に移動。ミーティン
グを終えてから待たせておいたキャブでロンドンの中心に戻る。待ち時間込みで
55ポンドを払う。
オックスフォード通りの本社でアメリカ人CEOと会合なのだが、なかなか現わ
れない。
中東向けテレビに移籍した英国人Nと受付で鉢合わせする。四方山話をする。彼
は昔バーテンで、世界を放浪していた奴だ。「いいな。アジアはスピリチュアルだ
から」などと言う。
「いや。シンガポールは極めて経済と効率を重点とした社会で、イギリスほどもス
ピリチュアルではないよ」というと驚いていた。「中東はどうだい?」
「出張でよく行くようになったけど、何ていうんだろうかな、突然オイル・マネー
で金持ちになって、ビルとかホテルとか、街を作ったろ、だから、様式は世界の
あちこちから持ってきたつぎはぎで、出鱈目さ。文化的に切り離されている。も
ともと砂漠の民だから、自分達の文化とは縁もゆかりもないものを金にあかせて
一貫性もなく移植してきただけだから」
ようやくアメリカ人CEOが戻り、一時間遅れで彼のオフィスで面談。僕は時差
ぼけでうまく通訳できない。
午後のミーティングにキャンセルが入り、T社のNさんが東京とシンガポールの
対応に追われて、いったんホテルへ引き上げることにする。
ロンドンがあまりに暑い。暑い上にエアコンが一般的でないから辛い。
一年で耐えがたいほど暑い日というのが20日くらいしかないロンドンで冷房を
持つことは贅沢だ。
リエは6時頃に戻ってきた。天気の良い中を歩いてきてご機嫌である。
無理してロンドンへ連れてきて良かった。
僕とリエは、T社と仲のいいロンドン在住のデンマーク人とフィリピン人の混血
女性Aとジャームス通りのタパス屋で食事した。
ロンドンは物価が高いとA嬢。だから毎日お弁当を作っているという。
歩いて帰り、休む。
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