戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年5月4日


2001年
5月4日(金)

移動日ではないので、ゆっくり起きてホテルのバルコニーで朝食。
リエはぐずぐずしているので置いていった。
キッチンが閉まってしまう前に食べて、それでも彼女が起きてこなければ、俄か
サンドイッチでも作ってやろう。
シャンペンとオレンジジュースでミモザを作る。
バルコニーは緑と花に囲まれ、正装した給仕がいる。
向こうのテーブルに東洋人がいる。
日本人かもしれない。勤め人ではない。
学生か学者かアーティストか。
流暢なスペイン語でスペイン人と喋っている。ホモセクシュアルの匂いがする。
朝食は旨い。ハムに卵にパンに野菜。
ようやくリエが加わる。
美味しい美味しいとパクパク食べる。
「ヨーロッパはいいわあ」を彼女は繰り返す。しかし、ここに住んだら絶対に退屈
すると思うが。
日が出てきて、ますますバルコニーが輝く。
給仕がミスター・トダに電話だと伝えてくる。キッチン脇の受話器を取ると昨晩
のKさんだった。
「昨晩はご馳走様でした。非常に楽しかったです」
「今晩のモダン・ダンスのチケット二枚手に入るけれど、興味ありますか?」
「ええ。是非」
「そのホテルのレセプションに手配しておきます」
有難い。
食後はシャワーを浴びて、裏の駐車場から車を出し、オーストリア国境を通っ
た。
スイスに出る。
サンク・ギャレン経由でアッペンツェールへ向かった。
ここも10年くらい前に何度か行って美しい所だと知っている。是非リエには見
せたかった。
昔、スイス人のBさんの持っていたアッペンツェールの山小屋に泊めてもらった
ことがある。
Bさんは鶏一羽に詰め物をして暖炉でローストしてくれ、それを赤ワインで食べ
た。非常に旨かった。翌日は牛が首から下げている鈴のガランゴロンという音で
目覚めたものだ。
谷間で車を停めた。見事な景色だ。スイスはやはり特別に美しいと思う。
WasseraaenからBrullisanまで車を転がすとリフトがあった。それで頂上まで行こ
う、ということになり、近くのドイツ風居酒屋の外に出たテーブルでビールを飲
んだ。店で働いているのは刺青をして下品な身なりの素朴な人々で、とても親切
だった。特に奥さんらしき金髪女性はリフトの時間を見てきてくれたりした。
「でも、顔立ちはいいんだけど、何だかアメリカのポルノに出てきそうなタイプ」
とリエは辛辣なことを言うが、確かにそういうタイプのスイス人女性だった。
やがてリフトが動き、僕らはオランダ人らしき老夫婦と二組で頂上へ向かった。
絶景である。
地上を行く牛たちや焚き火しながら薪拾いしている老人や山小屋の周りを走る子
供達がどんどん遠ざかり、アルプスの峰々がぐうっと広がっていく。
左手に隠れていた湖が現われる。多分、Hoher Kastenと呼ばれるところだと思
う。斜めに削られたような山の斜面に隠れている、非常に静謐な湖で、深い緑色
のままピクリとも動かない(ように遠目には見える)。それを高い木が囲んでい
る。何か妖精か魔物が住んでいそうだ。
湖までのクネクネ道は、麓の小さな村の山小屋を抜けて蛇行する小道とどこかで
繋がっているだろうから、あの辺に宿泊して、何時間もかけて湖まで散歩すれ
ば、非常に気持ちいいだろう、と遥か上空から想像できるのである。
素晴らしい光景だ。
頂上をぐるりと散歩して(裏側にはハイウェイが見えて興醒めだった)、アルプ
スの連なりを堪能し、リフトで下山して車で移動した。
途中、山を登る急傾斜の細道を行こうとしたが、対向車が来て(老人の運転する
ベンツ)バックで出て引き返す羽目になった。
ぐるりとボーデン湖に出る。桜の植林が続いた。これが延々と続いて美しい。
Konstanzからドイツ側に入る。
ドイツというのはいきなり、ドイツである、当たり前だが。
何だか華やかさが消えて質実剛健である。
RomanshからChurと移動し、途中で高速の出口を同じ形で二度も間違えてチュー
リッヒの辺りをぐるぐる回遊してから、ようやくブレゲンツに向かった。
へとへとになって18:30にホテルに戻った。
Kさんからのチケットが受付に届いている。
昨晩のイタリアンで夕食する。店主は英語が出来ない。どうにか注文してアン
ティパスタとサラダと赤ワインとパスタとコーヒーを摂る。旨い。
ブレゲンツの屋内劇場のモダン・ダンスには、白人のバレリーナに混じってたっ
た一人、何と、バルコイニーで朝方食事していた例の東洋人がいた。
朝、カジュアルな私服の時は気づかなかったが、非常に筋肉質の体で、半裸で
踊っていた。日本人だとしたら、凄い。一人で頑張っていて偉い。10年前にブ
レゲンツに来た時にもモーリス・ベジャールの薫陶を受けたという日本人青年と
会ったことがある。
哲学者ガストン・ベルジェより、息子のベジャールの方が有名だろう。1927
年生まれだから74歳である。
モダン過ぎるダンスにモダンな音楽で運転疲れしていた僕は睡魔に襲われた。
しかし、パフォーマンスは90分で終わった。
ブレゲンツの町を散歩して帰る。夜の湖もいい。
リエは部屋でシャンペンとオレンジジュースでミモザを作って飲んでいた。






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