戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年5月5日


2001年
5月5日(土)

起きてぐずるリエに最後通告してから一足先にバルコニーに出て朝食しようとす
ると、昨晩の東洋人ダンサーがいた。
目が会ったので英語で「おはよう」と声をかける。
「おはよう」と彼。
「昨晩のパフォーマンス良かった」と僕。
「ありがとう」
相手の英語のアクセントで気づいた。「ひょっとしてシンガポール人?」
「そう」彼は目を丸くした。「あなたは日系アメリカ人とお見受けしますが?」
「いいえ。日本人。でも、シンガポールに住んでいる」
お互いに驚いた。
彼が自分の隣の席を空けた。「さあ、さあ、座って」
楽しく話した。
彼は次々とバルコニーに現れるダンサー仲間にそれぞれ異なる欧州の言語で声を
かける。
いくつもの言語を操る。
スペイン語とイタリア語とドイツ語とオランダ語と北京官話の他に二種類の中国
語方言、そして英語を喋ると言われて驚いた。NUS(シンガポール大学)で社会学
と心理学を学んでから国を出て十年になるが、踊りながら欧州各国にそれぞれ住
んで覚えた語学だという。
彼はゲイである。ゲイで芸術家であるということは、経済中心主義を貫いてきた
シンガポールでは二重苦である。案外こうした才能は多く海外に流出しているの
かもしれない。
「ドイツ語だけはそれほど上手くならなかったな」と彼。「勉強して覚えた言語だか
ら。恋人がいなかったんでね」
恋人とは男である。ドイツ語だけは体で覚えることがなかった、というわけだ。
今はアムステルダムに住んでいて恋人がいる。で、オランダ語は流暢なのだ。
リエがようやく起きてバルコニーにやってきて我々に加わった。
「毎年シンガポールには帰ります」と彼。「あそこは僕にとってディズニーランドで
すね。ただホーカーズ・センターに座って周りを眺めているだけでもスペクタ
キュラーで、その匂いや色や幸せそうに食べている人々の様子が遊園地での出来
事みたいに思えてくるわけです。僕の子供の頃はもっとリアルな光景があって、
今でも祖母の古い家の佇まいや色や影や独特の匂いを覚えていますけど、そうい
うものは一切消えてピンクとかグリーンとか、カラフルな近代建築に取って代わ
られました。シンガポールはディズニーランドです」
次から次へとダンサー仲間がやってくる。色々な言語で返答する彼。
可愛い顔をしたの女性ダンサーが我々のテーブルにやってきて座った。彼が紹介
して握手する。
フランス人のダンサー。両親はコルシカから出てきた人でニースに移り住み、彼
女を生んだという。
今はドイツはケルンに住んでいるという。
「5年前に東京に行きました」と彼女。「ポーランド人の振付師と公演で日本に行っ
たことがあるけれど、空港から一歩外に出たらモアッと暑くて汗が噴出したの」
「それは梅雨か夏だな」と僕。「東京は雪が降るほど寒い時もあるんだから」
「そうなの?」と大きな目をクリクリさせながら彼女。「それとね、何でも物価高い
でしょ? でもね、うちのスタッフが安い店をみつけたの。こう、ボールにご飯
が入っていて上に肉が載っててシノなんとかという店」
「しの?」と僕。
「それ、吉野家よ」とリエ。僕らは大笑いした。
「毎日食べてたわ。他は高いし。それと一回、こう、小さな、車で移動する小さな
店でスープに浸かった、なんか、こう、奇妙な形の食べ物がプカプカ浮かんでい
るものも食べたけど、自分がいったい何を食べているのかわからなくて皆、きゃ
あきゃあ言って大変だった。わかる?」
「それってオデンだ。オデンの屋台だ」と僕は笑う。外国人には不気味だったろ
う。
「これが旨い、とか、これは卵の煮込んだものだ、とか、これは不味い、とか、こ
れは何なの? とか、もう、キャアキャア盛り上がって」
中華系シンガポーリアンの彼は、中国人は牛の頭の頬肉を好んで食べる話や「台湾
人は白人にめっぽう弱い」などという話をして話題は豊富である。
楽しい朝食の後はリエと最後のブレゲンツを散歩した。
土曜日なので市場が出ている。
パンを売っている店やチーズを並べた屋台やアンティークの店が並ぶ。
パンとチーズで赤ワインを飲んだら旨いだろうな、とは思ったが、これから偽造
国際免許で運転する身なので自粛した。
ホテルに戻り、駐車場から車を出す。
天気は悪い。
チューリッヒに着いた時には雨である。
街中を走った。
十数年前に出張でよくチューリッヒには来た。
目抜き通りのバーで肌の美しいフィリピン女性が踊るステージを観た。
褐色の肌をした彼女は舞台を降りると僕と先輩のMさんの所に来た。
で、このフィリピン人女性が大阪弁を流暢に喋った。「ウチ、大阪で踊ってたね
ん」とかなんとか。で、このM先輩は長身で浅黒くてフィリピン人みたいな風貌な
のだが、自分は中国人で日本語はわからないと英語で言った。
と、このフィリピン娘は図に乗ってM先輩に向かって「この人ブスやね」と言っ
た。僕には、日本語がわかるからだろう、「あんた、男前やん」と絡んでくる。
ムッとしたMさんは僕の耳元で日本語を囁いた。「戸田くん、遊んでくれば。僕は
会社には何も言わないから。シャンペン飲むか、というのが合図だから」
フィリピン娘は「あんた、わたしにシャンペン買うてくれへん?」と言い出した。
僕の頭の中には先ほど目の当たりにした、ピンクの照明に浮き出た彼女の滑らか
な肌が浮かんだが、頭に血の上ったM先輩に陰で何を言われるかわかったもので
はないので、ビールを数本空けて店を後にした。
あの陽気な娘も30代後半にはなっているだろう。大阪弁を忘れてしまったかも
しれない。どこかで成功しているのじゃないかな。
チューリッヒ空港に着き、レンタカーを返却し、スイス空港でシンガポールに向
かった。






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