戸田光太郎の21世紀日記 2002年

2002年1月7日〜9日


2002年
1月7日(月)

出社。忙しく過ごす。

1月8日(火)


旅券が激しくダメージを受けた。
もともとスタンプだらけで増ページしろと色々な国の税関で言われていて、週末に
ジャカルタとボンベイに飛ぶので、特にインドのビザが必要なので在シンガポール日
本大使館に行く必要はあったのだ。
大使館では本日提出して早くて月曜日に再発行となる、申し言い渡された。
やばい。
それでは週末にジャカルタにもボンベイにも行けなくなる。
出社すると英国人社長Fの秘書から僕の秘書に16:30から16:45まで彼の部
屋で面談すること、とメッセージが届く。
オフィスのトイレで英国人副社長Cから僕の携帯に電話が入った。
「今、近いの喫茶店にいるから、ちょっと話しがある」
喫茶店にCがいた。
現況を話し、彼の現況を聞いてから、今日の16:30からの社長との面談のアドバ
イスを受ける。
僕は自室に戻って社長と話す内容を簡単に考えておいた。
また違う国への勤務を希望したのだが、その国へ移り住んだ場合の仕事上のメリット
とデメリット、そしてデメリットへの対処法、などである。
英国人社長の個室でと英国人副社長と一緒に、他国への転勤に関する話し合いをす
る。
F社長は概ね合意したが、「東京勤務もあり得るが」と聞いた。
東京ならばいつでも帰れる。「東京勤務は望みません」
「わかった。レポートを提出するように」
リエに電話して社長の合意は得られた、と伝えた。
喜んでいる。
僕は転勤の条件が納得できるものでないと動けない。

1月9日(水)


移り住んだ場合の仕事上のメリットとデメリット、そしてデメリットへの対処法、希
望する条件と、現在の家主との契約(2ヶ月前に通知する義務がある)から3月末を
希望することなどをA4用紙に英文で書いて(当たり前だけど)提出した。
外務省勤務の知人にシンガポール領事館に手を回して今週中に旅券を再発行するよう
頼んでみたが、
「手術や入院など生命に関わることで出国する必要があるならいざ知らず、ビジネス
上のことならば出張日程を変えてください」と一蹴された。
そりゃ、まあ、そうだ。でも、ジャカルタもボンベイも、その日だけのコンサート&
パーティーだから日程変更は出来ない。
結局、シンガポールの別のスタッフが僕の役割を分担してカバーしてくれることに
なった。
申し訳ない。
夜はリエと待ち合わせて餃子を食べてから、散歩しながらフラートン・ホテル近くの
インドチャイナで開かれている2月2日のイベント運営メンバーの飲み会に顔を出
す。
タレント渉外担当のスペイン系フィリピン人女性C、イベント実行委員長のカナダ人
女性S、チームリーダーの上級副社長P、劇場映画も作る中華系シンガポール人男性
プロデューサーC、タレント渉外担当重役でインド人とドイツ人のハーフM、この店
の広報マネージャーなどなど。
タクシーを拾って帰る。






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