戸田光太郎の21世紀日記 2002年
- 2002年1月1日〜6日
2002年
1月1日(火)
- この日記にも書いたように2000年の1月(特に1月12日)に転機を迎えて10
年住んだヨーロッパからシンガポールに移り住んで早2年になろうとしている。
「あっ」という間である。
この2年で僕はアジアを「発見」したような経験をした。そこに住んでみないと、や
はり各国の違いなどわからないものだ。
危ない国だけど、中国というものの存在は大きい。アジアの華僑は強力だし、文化圏
的には韓国も日本も色濃く中国文化圏なのだということも納得できた。
ヨーロッパ各国とアジア各国は経験したので、中東各国、アフリカ各国、中南米各国
の違いがわかるほど経験できるようになればいいな、と思う。
マイアミ辺りのテレビ局に勤務できないだろうか?
機会があれば色々な国に住みたい。
夕方、リエと義父とで地下鉄、JRと乗り継いで太宰府へ初詣に行く。
非常に混んでいた。
初詣は勿論、受験も近いので学問の神様菅原道真は忙しい。列が詰まって境内に入れ
ない。
義父が抜け道を教えてくれて、ようやく入れた。
リエの引いた御神籤は「末吉」。彼女は穴の開くほど文面を仔細に調べて「納得がい
かない」と、もう一回チャレンジした。
しかし、またまた「末吉」。非常に落胆していた。
僕は中吉だったが、あまりこういうものは信じてないので別にどうでもいい。
帰りに雨が降り始めた。
古風な喫茶店に入り、コーヒーを飲む。店内は大正時代風で、「女給」も袴にエプロ
ンだった。
JRで博多に着くと、リエと義父が近所の神社に向かった。「リエが、末吉じゃあ納
得せん言うけんねえ」と義父。
神社で拝んでリエが御神籤を引くと今度は大吉。ようやくニコニコしていた。
やれやれ。
リエと義父は疲れたというのでタクシーで見送り、僕は博多を散策した。
紳士服専門店でネクタイとシャツを買う。
ダイエー・ショッパーズは元旦からオープンしている。
また本屋で買い物してから地下鉄で唐人町の家に戻った。
御節料理と日本酒と義母の手料理とご飯と明太子。
九州だからなのか、「婿殿」は大切にされるので有難い。
1月2日(水)
- 昨晩に買ったシャツとネクタイにスーツを着て、親戚参りする。
旧家の門構えや、うっすらと雪の降る日本庭園が美しい。
縁側もある。
床の間がある。
長いテーブルに色とりどりの御節料理がどーんと並べられて正月気分を盛り上げる。
日本酒を飲む。
帰りも義父の運転するマツダで僕とリエはJR駅に落としてもらい、ささぐり駅まで
行き、タクシーを拾って温泉にビジターとして入った。
岩風呂から檜風呂からミルク風呂まで色々と楽しんでいると「シンガポールの戸田
様、お連れ様がレストランでお待ちです」という館内放送が入り、慌ててあがった。
彼女の方が圧倒的に長風呂なので不信に思っていると、ちょっと不満足気の彼女が大
広間の長テーブルに座っていた。ほとんどの人は湯上りのお仕着せでリラックスして
いるのに彼女は早くも私服に着替えている。
「良くなかったの?」
「駄目。凄い混雑だし、お湯がぬるくて」
「男湯もぬるかったけど、混雑はしてなかったよ」
気を取り直して彼女は白ワインにグラタン、僕はビールを飲む。
温泉を出てタクシーでJR駅に行き、列車で帰った。
夜中にリエが一蘭のラーメンが食べたいと言い出し、可哀相に義父が運転してくれて
博多の一蘭で初ラーメンする。旨い。
1月3日(木)
- 8時に上階に住む義父から、二世帯住宅の一階に滞在させて頂いている我々にモーニ
ング・コールが入った。義父はこのまま接待ゴルフへ。
僕は寝坊のリエを起こさずに用意し、義母に挨拶し、手配してもらったタクシーで福
岡国際空港に向かう。
空港は混んでいる。
それも馬鹿な混み方で、チェックインのエリアから出発ロビーに入る前の入り口に長
蛇の列が出来ている。これは手際が悪いとしか思えない。係りの人に問いただすと、
いつも混んでいるという。改善する気はないのか?
そうやく構内に入ると本屋が一軒もない。
成田だって関空だって中には本屋がある。どこの国際空港だって本屋はある。旅する
のに本がなくてどうする?
この空港を作った人間は果たして旅行をしたことがあるのだろうか?
読書の楽しみを知らないのだろうか?
冬の空気で唇が荒れたのでリップスティックが欲しい。
しかし、中には薬局もなかった。
馬鹿じゃないか?
旅立つ前に本屋と薬局がなければ旅人は途上で客死してしまうぞ。
責任者、出て来い。
あまりにお粗末なので立腹してしまった。
福岡はこんなにいい所なのに国際空港が残念だ。
「さくらラウンジ」がしけていた。
ラウンジの食べ物がスカなので売店でサンドイッチを買って食べた。
午後にシンガポールに到着する。
夏だ。緑が輝いている。
雪の福岡からは信じられない。
オフィスに電話すると秘書もアシスタントも働いていた。
「今日は出社しないよ」と断る。
1月4日(金)
- 早朝出勤して働く。
ランチも自分の部屋で食べて、でも結局22:00まで残ってしまった。
餃子の美味しい店は閉まっていたので近くのホーカーズ・センターで、ピータンのお
粥とカールスバーグの大瓶で遅い夕食。
明晩リエが福岡から帰ってくるが、僕はクアラルンプールに出張である。
1月5日(土)
- 6時に起きて車の迎えでチャンギ空港からクアラルンプールに向かう。1時間弱で到
着。
マンダリン・オリエンタル・ホテルにチェックインして今晩の会場に向かう。
まだ全然用意できていない。
散策してホテルに引き返し、仮眠。
起きて電話で先発隊と待ち合わせしてまた会場FLUXに。
今度は多少形が出来ていた。
ステージやバナーやポスターやVIPエリアを見て撮影する。
先発隊と打ち合わせして、いよいよ本番。
トゥー・ファットというマレーシアのラッパーが登場した。
あとは大御所歌手ナシールが来てインタビューされた。
夜10時にはお開きとなり、中華系女性マーケターDさんと踊り、彼女の仲間の広告
代理店マンらと連れ立って隣のクラブ「ポリアム」で飲む。
Dさんが車でホテルへ送ってくれた。
読書してテレビを見て眠る。
1月6日(日)
- 夕方シンガポールに戻る。
リエは帰国したその足で外出したまま。
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