戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年8月24日〜28日


2001年
8月24日(金)

目覚ましより30分早く目覚める。
5時半か。
ゆっくり準備して6時半にメルセデツの迎えでチャンギ国際空港へ。
8時のSQ便でジャカルタに飛ぶ。
1時間時差があるので約1時間半のフライトで着いたのは8時半。
東京のT社N社長とN副社長とゲートの前で落ち合って入国する。
彼らは昨晩シンガポールに飛んできて約5時間ホテルに滞在して僕と同じ便で出
張してきたのだ。
空港でAVISのリムジン屋と交渉して8時間ほど運転手ごと車をチャーターし
た。
まず日系AVメーカー関係者と面談する。
インドネシアというのは不思議なところで、いきなりこの7月に奢侈税がオー
ディオ製品全般に課税されることが発表されたということである。0%からいき
なり、20%。
これは大変な数字だろう。
通貨危機などがあると、すぐ密輸をしている中国人から電話が掛かってきて、
「在庫を抱えてますか? 処理しますよ」などと言われるそうだ。
多くはシンガポールの密輸商だという。
一方、オーディオ業界団体からは当局にクレームを出そうということになったそ
うだが、企業によってはオーディオにそれほど比重を置いていなかったり、ま
た、オーディオの課税がなくなっても他に波及してそれが自社の主要商品目にな
らないとも限らず、で、足並み揃わないらしい。
また彼は人件費の安さに驚いている。
日本人一人を雇う金額で現地人を60人雇えるという。
高学歴でスキルのある高給取りでも月に三万円で済む。
次のミーティングの前に高級ホテル、シャングリラのナダマンで鉄板焼き定食を
食べた。これだって現地人からすればべらぼうな値段だろうが非常に安い。千円
くらい。
また日系会社の社長と話す。
関係者をジャカルタに呼んだそうだが、総勢600人。それだけで、地方の人々
は「はなの都」ジャカルタに来るだけで大変な土産話しとなるのだそうだ。
奢侈税は今年の初めにコンピューターと携帯にかかって突然20%となったそう
だ。
業界団体でクレームを出すと、当局はそれを引っ込めた。
この社長、(きっと政府予算は組んであるからまた来るだろう)と思っていた。
そして案の定、20%はラジカセにかける、とお達しがきたのだという。。
輸出には3ヶ月以上のリーディングタイムが欲しいのに、税金が0%の時に船積
みした製品に突然20%の奢侈税がかかってしまうのだからたまらない。
袖の下で還流するマネーが存在するらしい。
シンガポールの担ぎ屋、と彼は表現していたが、そういう人々から奢侈税が発表
されるとすぐ連絡がきたという。
夜、ジャカルタのハードロック・カフェでコンサート・パーティーがあって、そ
れに立ち会ったのが、お国柄、パーティーは夜の9時で終わった。他の国でこの
手のパーティーをやると明け方まで続くのだが、基本的に酒を飲まないムスリム
の国は宵っ張りではないのだ。
パーティー終了後、僕は現地に駐在する日本人のスポンサーの方と、これまた現
地駐在の日本人広告代理店マンらとで彼らの行きつけの店へ連れていかれた。
そこはジャカルタのブロックM、つまりM地区と呼ばれているところだそうで、
飲み屋が多い。KARAOKEという文字が極彩色のネオンで輝いていた。
駐在の人々が入っていったのは「キャナル2」という店で、なんだか、目鼻立ち
のいい可愛いインドネシア人が下着のような姿というのか、キャミソールでぽつ
り、ぽつりと立っていた。
僕はちょっと、ここは怪しいところなのかな、と思ったが、駐在組みは慣れた感
じでずんずん階段を上がって行き、一つの大きなカラオケ・ルームに入っていっ
た。で、駐在組は「さあさあ、荷物を落として」と言って部屋にどさどさ手荷物
や上着を置くと更に上の階に向かったのである。と、俄然、階段脇に佇むキャミ
ソールの若い女の子たちが増えていった。
なんじゃこりゃ?
と、駐在組みについて階段を上がった部屋に入ると、そこは圧巻だった。
今までのキャミソールの女の子たちの数の比ではない。部屋をぐるりと取り巻く
ソファーに女の子たちが50人ほどはいて、一斉にこちらを向いて「わたしを選
んで」というよなことをキャーキャー口にして品を作っている。
むむむ。弱った。
しかし、僕の頬は緩んでいくではないか。いかん、いかん。
我々は一人ずつ好みの女性を選んでカラオケ・ルームに戻り、これら可愛いイン
ドネシアの女の子に寄りかかられながらカラオケしたのである。
それだけの施設だった。女の子は英語も喋れないし、日本語も片言だし、何らま
ともな会話は成り立たず、そこにいるだけ。華やかではあるが。
多分「お持ち帰り」する、なんらかの裏交渉はあるのだろうが、我々は歌って
酔っ払うと、そのまま綺麗に帰った。
この辺一帯は日本人や韓国人や中国人を相手に商売しているのだという。
それもそのはず、就労人口の92%が月収100ドル以下、つまり月に1万2千
円しか稼ぎのない人ばかりの国だから、M地区の「カナル2」で遊ぶことなど、
現地の人々には不可能なのである。
そもそも彼らは酒も飲まないし、早く寝てしまうのだから関係ないのだろうか。
いや、やはり、現地の女の子を相手にあのような場所で飲んでいたら、インドネ
シアの男たちに襲われても文句は言えないのかもしれない。
くわばら、くわばら。

8月25日(土)

ホテルで朝食してから車を雇って空港へ。12:30の便でジャカルタを発つ。
午後三時にはシンガポールに戻れた。
リエとホーカーズでチキン・ライス。そして、ビール。
ローラーブレードを買ってビシャン公園で練習した。彼女は意外にすぐ修得し
た。
くたくただ。
映画を観る。「猿の惑星」。チャールトン・ヘストンのオリジナルの衝撃には敵
わない、と思う。
激務続きの週末も妻をエンタテインメントするのはタフである。
「LOVE STORY」を観終わる。最後まで陳腐。やはり、ロンバケの新鮮
さはない。
中山美穂と豊川悦史というキャスティングだけで成立した物語。
しかもそれが機能していない。

8月26日(日)

晴天だ。
読書する。
洗濯もした。
買い物をして、リエとDOMEでコーヒーを飲む。旨い。コーヒー豆を買う。
リエにワンピースとホットパンツとシャツともう一つワンピースを買う。
僕もパンツとTシャツ2枚買った。久し振りの自分への買い物だ。
部屋に帰るとコーヒー豆がない。
忘れたのだ。
リエとまたDOMEに戻り、豆を奪還してからアイス・コーヒーを飲む。
旨い。
帰宅して着替えてタクシーを呼んでシンガポール・コンサート・ホールでアメリ
カのポップ・スター、マンディー・ムーアの収録ステージに立ち会った。リエも
同行する。
寿司やサテーや果物がホールに並んで豪華である。
ワインなどを口に入れる。。
Eはジャカルタから来たという中華系。奥さんは日本人だという。
マンディーのパフォーマンスを収録。
カントリー&ウェスタンのフレーバーがある曲が多い。
しかし、物怖じせず度胸良く喋る。
アメリカのショービジネスの人間は凄い。
16歳で、とても自分はこんなことは出来なかった。
1985年生まれである。
恐ろしい。
マーさんのお店でN社長、N副社長、Cさん、リエと食事。

8月27日(月)

T社のN社長とN副社長を迎えてシンガポール本社内で打ち合わせ。
N社長とS社でミーティングをして帰社、午後の会議の準備。
午後3時に東京の広告代理店の3人が早い到着。出迎えてオフィス・ツアーをし
て話し合い。
彼らとT社のダブルNさんと、午後4時から我々からは制作部トップの英国人と
中華系女性プロデューサー、イタリア系オーストラリア人のマーケティング部
長、中華系英国人次長、オランダ人オンライン担当と韓国人オンライン制作部
長、インド人女性
の調査部長、クライアント・サービス部から日本語の堪能な中華系シンガポール
人女性二人で延々と会議。最後は午後8時になった。
ダブルNさんをホテル近くまで送って三人で伊勢丹3階「とん吉」で夕食。

8月28日(火)

T社のN社長とN副社長を迎えて打ち合わせ。
11:40にはオフィスを出て、インド人スタジオ機器担当と中華系英国人とダ
ブルNさんと広告代理店3名とで来年のイヴェント会場となるシンガポール・イ
ンドア・スタジアムを視察。
帰りはそのままラッフルズ・ホテルに集合してブュッフェ・ランチをし、記者会
見の会場を点検。
色々楽屋裏のトラブルはあったが、記者会見は盛況で、来年2月2日のイヴェン
ト司会はマンディー・ムーアだと発表され、本人が登場。
17歳で堂々と喋る美貌の歌手、モデル、映画女優にして司会者。凄い才能だ。
しかも、チャーミング。アメリカの芸能界の17歳というのは恐ろしい。
記者会見の後で立ち話をしてオフィスに戻り、ダブルNさんをオーチャード通り
のマリオット・ホテルに落としてロビーで待つ間、コンシェルジュでフランス料
理屋「レ・ザミ」にテーブルを予約した。
二人が部屋から降りてくるとスコッツ通りを挟んで向こう側にある「レ・ザミ」
で夕食。
ワインもチーズも料理も旨い。僕はオマール海老のパスタに子牛のステーキ。そ
してブルー・チーズ。ポルトで閉める。
お二人をホテルに送って帰宅。
長い一日だった。






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