戸田光太郎の21世紀日記 2001年
- 2001年8月15日〜16日
2001年
8月15日(水)
- タクシーが迎えに来るのは8:15なのだが、朝6時に目覚めてしまう。
小さな鍋に昆布を入れてご飯を炊き、途中で鰹出汁を加えてリエにお粥を作って
冷蔵庫に冷やしておいた。梅干で食べるといいだろう。
シャワーを浴び、煎茶を煎れて飲み、荷造り確認してコンドミニアムの入り口へ
行った。
タクシー運転手が待っている。
シンガポール空港に着くと、例のごとくラウンジで白ワインとサンドイッチを
摂ってラップトップを叩く。
午後2時前に到着し、ホテルの迎えでマカティのインター・コンティにチェック
インする。
部屋が煙草臭いのでノン・スモーキング階の部屋に変えてもらい、荷を解いて数
箇所に電話する。
数人を掴まえて時間を確認できた。
風呂に入って髭を剃ってシャツとネクタイに着替える。
エレベーターが降りる間にシンガポールから携帯に連絡があり、喋りながらロ
ビーを横切っていると先方のフィリピン人が3人現われた。携帯の秘書Cに謝っ
て、携帯を切る。
ホテルのカフェに移動して3人相手に来年のイヴェントを説明する。
一人は非常に育ちの良さそうなフィリピン人男性リーダーで立派な英語を話す。
頭も良い。もう一人はその下で働く平均的なフィリピン人男性。残りの一人は可
愛らしい秘書的な女性だ。
延々と説明する。
いくつか質問が出て答える。
彼らの警戒心も解けたようだ。
「ミスター・トダ、あなたの英語は」とリーダーが丁寧な英語で最後に聞いた。
「シンガポールの英語ではなくて…」
「英国が長かったのです。シンガポールは1年半で、ロンドンが8年、アムステ
ルダムは2年。アムステルダムからロンドンに移った時は英国人から、お前の英
語はオランダ語アクセントがある、と言われましたけど、やがて英国英語になっ
てきたし、今はシンガポール訛りを拾っているかもしれません」
「だったら、マニラに移住しない方がいい」
「え?」
「フィリピン訛りの英語になってしまいますから」
皆、笑った。
フィリピン、シンガポール、香港、インドでは英語が通じる。非常に便利だ。
英語は便利だ。
北京閑話(マンダリン)が出きれば、中国の知識人と、シンガポールと香港の一
部と台湾がカバーできる。
英語に加えて中国語とスペイン語が出切れば非常に人生が豊かになるだろうと思
う。
英語だけでも僕の人生の可能性は、大幅に押し広げられた。
外で食べる。韓国料理屋だ。不味い。食べられないフィリピンは一般的に料理が
粗末だが、これほど不味い韓国料理は初めてだ。
夜、明日のイベント会場に行く。
内部は暗い。ネオンサインが輝く歌舞伎町のような地区にある。
アメリカの映画館みたいな外観の「サバービア」というライブハウスだ。
上手なライブ・バンドが演奏していた。
シンガポールからの中華系女性二人が2階のVIPルームでフィリピン人男性J
と打ち合わせをしていて、僕も加わった。会場をチャックし、解散。
僕はこのマニラの小振りな歌舞伎町のネオンを小雨に打たれて散策しながら、い
くつかの日本料理屋やラーメン屋を覗いて、一番人が多い店に入った。
と言っても僕の他に二組である。
寝しなに良くないなあ、と思いながらも小さな味噌ラーメンを食べて(残し)、
ビールを飲む。
店で売っていたフィリピン語会話の本を買って守衛にタクシーを拾わせてチップ
を渡し、ホテルに帰る。
ホテルのテレビにはNHKが入っている。
つまらん。
寝た。
8月16日(木)
- マニラである。
午前中は一人でミーティングへ。
午後、ホテルに戻るとT社の日本人N社長とN副社長がレセプションに到着して
いた。
挨拶して5分後にロビー集合とする。
タクシーで次のミーティングに向かった。
ミーティングの後、路上でタクシーを拾おうとするが、なかなか見つからない。
これがまた酷い交通量の道路で真っ黒い排気ガスが噴出す中、我々は呼吸困難に
なりそうだった。乗合バスやバイクやトラックや乗用車や黒煙を吐きながら、バ
ラックが軒を連ねるガタガタの道を突き進んでいる。汗、煙、臭気、埃。
とんでもない国だ。
小奇麗な国も嫌いだが、こうした混沌にスーツ姿のまま投げ込まれると、さすが
に辛い。
雨が降ってきた。塵埃を含んだ黒い雨、ということが頭の中で自動的に想定され
る。
ようやくエアコンのついたタクシーを拾ってホテルに向かう。
近代的なホテルのバスに浸かり、バスローブを着てベッドに横たわり、テレビを
つけた。
CNNにヤクザが映っている。
襲名か、と思ったら、それは日本の政治家の映像だった。
これは、ひどい。
こんな下劣な面相の人間が日本の政治を司っているのか。
別に顔で政治するわけじゃないだろうが、人間の品性というものは顔に表れる。
なんだか非常に下品な人間が権力を振り回しているのではないか。
夜のイベントはそれなりに盛況だった。
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