戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年7月17日〜7月31日


2001年
7月17日(火)〜7月20日(金)

7月17日(火)から7月20日(金)の記録がどこにもない。消失した。

7月21日(土)


午前7時半頃に休日出勤。
午後5時過ぎまで働く。
その間、二人の同僚が休日出勤していた。
リエとアン・モ・キオまで歩く。
バリで買った絵を額縁に入れたはいいが、まだ壁に掛けていない。
しかも、その額縁が立派で重いのだ。
近所に電気ドリルを買いに行くが売っていない。
これは明日に延期。

7月22日(日)


朝起きて食事の下拵えをする。
ペーパーバックでロバート・B・パーカーの私立探偵小説を読む。
洒落た表現満載なので、この小説を読んでる僕はご機嫌となる。
正午になってもリエは起きない。
やはり、眠れる森の美女である。
僕はその隣で冷房をフルスロットルにして寝室のベッドでペーパーバックを読み
つづける。
晴天だ。
カーテンの向こうの真っ青なプールに強烈な日が差している。
彼女が起きたので、ロンドンのウィタードで買った茶葉紅茶を、これまたロンド
ンで買ったブルー・ミントンで煎れて給仕する。
オイスター・マッシュルームなど、いくつかの茸を出し汁に漬けてご飯を炊き、
それが炊き上がるまでにシーザース・サラダを作り、フレンチ赤ワインを飲みな
がら、大蒜と生姜を微塵切りにして豚ミンチと一緒にいため、トウバンジャンな
ど数種のソースを混ぜてから長葱のスライスを入れて炒め、最後に豆腐を入れて
麻婆豆腐を作って、リビングの、プールの見えるテーブルに並べた。
これは、旨い。
僕は洗濯と掃除をする。
特にバスルームのシャワー室を徹底的に清掃。
壁にバリ島で買ってリエがフレームした絵画を飾るために、電気ドリルを買いに
行く。
そのドリルを売っている地区に立派なレストランがあるので、入って北京ダック
を食べた。
帰宅すると、どっと疲れた。
しかも僕は、せっかく購入した電気ドリル・セットの使い方が分からなくて、ま
た購入した店にテクテク戻って使い方を学び、ようやく理解して僕は部屋に戻
る。
ところが、思うようには壁に穴は開かない。
途中までドリルは入るのだが、そこから先には進まないのだ。
鉄柱でも入っているのか?
バリで買った絵画は立派なもので、かなりしっかりネジを埋め込まないと支えら
れないと思う。
ところがネジが入らない。
疲れた。
彼女も元気がない。
ロンドンに住みたい、と彼女は繰り返す。
半永久的な不満が燻っている。
英国が全てを解決してくれるのか。
そうは思えない。
英国に住んでいるときはその時で彼女は不満を口にしていた。
NEVER ENDING STORY.
でも、男は頑張らなければいけない。
21:45に迎えのメルツェデスが来て僕はチャンギ国際空港に向かう。
23:15には機上の人となった。

7月23日(月)


朝食が出る時に隣の日本人老女が僕を「朝食ですよ」とわざわざ起こしてくれた。
善意なのはわかるが違う価値観で生きている人もいるのだ。俺は朝食より、睡眠
が欲しい。団子より眠り、である。なんで俺を起こすんだ。
「僕、食べませんから」とまた眠りに戻る努力をした。
6:50に成田着。このフライトはきつい。
4時間ほど仮眠しただけで東京は朝、働く時間となっている。
モーニングライナーで上野に向かい、タクシーでホテルへ。
チェックインして風呂に入り、少々リラックスしてからスーツに着替えてオフィ
スに出る。
さっそく、ミーティング。
昼は天庄で天麩羅定食。相変わらず、旨い。
食後に来客でミーティング。

7月24日(火)


仕事の後で六本木に出張る。

7月25日(水)


仕事の後で夜、赤坂へ。二つの会社のヘッドハンター二人と面談。
ホテルに戻って内装施工のKさんに12年ぶりに会う。
彼はほとんど変わっていない。
ホテルのバーでビールを飲む。
Kさんは変わってないように見えるのだが、ご本人曰く、前歯が入れ歯になっ
た、と。
「ご飯が旨くなくなるんだよね」
N社長を紹介しようと、と彼らが夕食を食べていたしゃぶしゃぶ屋へ乱入した。
N社長は、真面目なKさんが気に入ったようで(この辺の感じは長年の付き合い
で分かる)、親身に話してくれる。
しゃぶしゃぶ屋を出て居酒屋で呑む。
Kさんと、昔から互いに知っている人間の、その後の動向を聞いてみる。
退社した者、亡くなった者、社内で移動した者、色々だ。
一つ、気が付いたことがある。
12年前に、まだ若くて経験もなかった僕らが見ていた人々の評価、「あの人はこ
ういう人だ」というものは、いつまでも萌芽されていて、12年後にも変わること
なく開花している、ということだ。
ある先輩は非常にいい加減な人で、しかし、いちげんの人には非常に好印象を与
える人で、その人はそのまま、今もそんな風に生きている。
ある先輩は上にいい顔ばかりして、何もせず、下に仕事を押し付けていい加減に
生きてきた。その人はそのまま、今もそんな風に生きている。
それにしても、僕が新卒で入ったあの会社、自分も含めてだけど、いい加減な人
間が多かった。
無能でいい加減な人が給料貰っていたら、リストラされてもしょうがないだろ
う。
でも、日本の社会や国民は、そういう状況に慣れていないから、パニックになる
はずだ。
Kさんと別れてからコンビニで蕎麦にワンカップ大関を買ってホテルの部屋でテ
レビを見ながら体に入れた。不健康だ。

7月26日(木)


T社の女子社員に、「戸田さんて、買い物とかブランドとかにうるさい人間に見え
る」と言われて驚いた。
僕は買い物が大嫌いだ。唯一、本だけは好きで、大型書店でならいくらでも過ご
せる。
夜は、内装のKさん交えて学士会館に行く。
食品関連会社の会合である。
Nさんの市場の移転プロジェクトはなかなか興味深いものだった。
Kさんと帰りに寿司を食べる。
昔シンガポールでも握っていた寿司職人とKさんが釣り談義をした。
で、この寿司職人、映画が大好きな人で、名画談義に花が咲いた。
彼が好きなのは「白昼夢」、「舞踏会の手帳」、「ゴッド・ファーザー」、「ベニスに死
す」と、渋い。
ルイ・ジューべの堕胎医の迫力、などを話しているうちに、トルストイやドスト
エフスキー、ムイシュキン公爵、イッポリートの話になる。驚くほど読書家なの
である。しかも彼は「教養のため」などという胡散臭い目的ではなくて、知りたい
ことがあって、好きで読み進んでいっただけの人なのである。
この店に来るほとんどの客の読書量を凌駕しているだろう。
彼の外見は、陽気で太った白髪の寿司職人である。
「それにしても、どうしてああやってすぐ固有名詞が出てくるんだろう?」とKさ
んも舌を巻いていた。
Kさんを連れて、僕は東京に来ると一回は足を運ぶ「紫宛」に顔を出した。
ママの「百恵」さんが、「あらあ、また日本にいらしたの」と出迎えてくれる。
彼女は上海の中国人だ。
この店の女性は皆、大陸から来た中国人である。
まったくHな場所ではなくて、あまり皆が熱心に歌うわけではないカラオケが
あって、適当に飲んで喋って、という気楽な店だ。
ママの「百恵」さんに商売っ気がないのが目玉である。
ボラれる心配がなくて飲める。
「静香」という女性が隣に座った。
大連から来ているのだという。
僕もそうなのだが、「外国で外人として生きることは、それほど楽ではない」とい
う話をした。
辛い、と彼女は言った。「でも大連は楽しくないし」。
こうして東京の最後の夜は深けた。

7月27日(金)


朝9時にはホテルを出る。
タクシーで京成上野駅、スカイライナーで成田へ。
お昼のシンガポール航空便でシンガポールへ向かった。
疲れた。
酒を飲んで寝た。
目覚めて機内映画を観た。
「みんなのいえ」。三谷幸喜が脚本と監督だ。非常に良かった。
唐沢寿明が、TV「ラブ・コンプレックス」の時のようなアクの強いアメリカかぶ
れの設計屋で、田中邦衛が昔気質の大工を演じる。この二人のぶつかりが面白
い。三谷幸喜は「ラジオの時間」もかなり評判なので見てみたくなった。
午後6時頃にはシンガポールへ到着。
会社には寄らず、タクシーで帰宅した。
リエが出迎える。
「戸田ちゃん、凄く寂しかったよ」と彼女。申し訳ない。今の生活水準を維持する
には一生懸命働かなければいけないのだ。
でも、普通の基準からすれば、まだましではないだろうか? まあ、どこに基準
を置くかによるのだろうが、彼女は今年だけでもバリ島でリゾートしたり、マカ
オに行ったり、イギリスとスイスとオーストリアとドイツに旅行したり、もう一
度ロンドンやベルギーに旅行したり、若干の贅沢は、どちらかというと、してい
る方だと思うのだが。
皆そうなのかな?
これからも8月にはタイのプーケットでリゾートする予定だし、いつも出張で留
守にしているのは本当に可哀相だとは思うが、何とか挫けずに頑張って欲しい。
でも、彼女は蝶よ花よ、のお嬢様だからね、それを守ってやるのが僕の務めなの
かもしれない。
留守中の彼女の出来事など、色々話してから休む。

7月28日(土)


ゆったりと過ごす。
リエと家で徹底的に読書した。
僕は資生堂の福原さんの書いたリーダー論と、田原総一郎と大前研一の対談を読
んだ。両者ともに、かなり面白い本だった。
久々の読書三昧で満足の一日。
僕は日本で買ってきたイクラなどで和食を作ってリエに振舞った。

7月29日(日)


ギャラリーの仕事がらみでラッフルズ・ホテルに行くリエに付き合ってMRTで
シティー・ホールに行く。
帰ってきた彼女とイースト・コーストに向かう。
生憎の雨。
シースポーツ・センターもびしょ濡れで駄目。
またタクシーを拾って自宅方面に帰る。
DOMEに寄ってお茶をする。
僕は料理して、洗濯して、部屋を片付ける。
リエがそういうことを厭わない人だったら良かったのだが、彼女がそういうこと
をするとノイローゼになる性質なので、僕は働き、家事もする。
料理しながら洗濯して、同時に部屋を片付けるという風に集中して家事をする
と、割に短時間で済んだ。スポーツ・クラブに通うより重労働なので、ちょうど
いい。
そういえば僕の母も家事が大嫌いで、料理は大好きだった。
仕事も家事もだからか、最近は物を書く暇が無い。
いや、それは言い訳かもしれない。
リエと映画『ブリジッド・ジョーンズの日記』を見る。〇。楽しく出来た佳品。

7月30日(月)


東京からメールが入っている。
大阪へ英国人の上級副社長を連れていく必要は無くなったが、やはり僕はN社長
と同行する必要がある、とのこと。
関空行きの今晩のSQを秘書に頼むが、一杯でJALしかない。
朝の定例会議の後でまた上級副社長に状況を説明。
14時にN社に行ってミーティング。その足で16時にM社へ。
帰社して色々と準備しているとどんどん遅くなり、家に帰って着替えて荷造りす
る、という時間がどんどん圧縮された。20時半にギブアップしてタクシーを呼
ぼうとするが折からの雨で捕まらない。
家から空港まで秘書Cが手配してくれた送迎タクシー会社に電話して会社で拾っ
てもらい、それをエンタランスで待機させ、自宅に寄って30分でシャワーを浴
びて着替え、リエが焼いたステーキを頬張り、荷造りして空港に向かった。
JALの「さくらラウンジ」にはワインが置いてなかった。だからSQがいいの
だ。
スナックを食べてバーボンとビールを飲んで23時15分発の機上の人となり、
眠った。

7月31日(火)


朝6時半、関空に着く。
4時間ちょいしか寝てないし、体が痛い。
列車が7時半までないのが悲しい。
カレーとビールを摂って暇つぶしをして、今日の打ち合わせの英文資料に目を通
す。
「はるか」で新大阪に向かい、タクシーを拾って帝国ホテルに行き、トイレでスー
ツに着替え、ホテルのテナントで入っている店で「子供を救おう」基金のネクタイ
を買う。
ロビーでまた資料を読む。眠くて頭に入らない。
ふと顔を上げると、ハンブルク在住の日本人Fさんが歩いていた。
「お久し振りですね、Fさん」
「あれ、来てたの?」
「僕、今、シンガポールに移ったんですよ」
「うん。聞いてる」
「Sの件ですか?」
「そう。最近、毎月来てる。今日はTとも一緒なんだよ」そしてFさんは忙しそう
に立ち去った。
ドイツから毎月出張とはご苦労様、である。
11時ちょっと前に東京からT社のNさん二人が到着し、合流。
Yさん、Kさんらと彼ら広告代理店のオフィスで会議。
これが延々2時まで続き、今度はタクシー2台に分乗した6人はクライアントの
オフィスに移動してミーティング。
これがまた延々と6時頃まで続いて寝てない僕はへとへと。昼も抜きで、ようや
く会議の後で6人は日本蕎麦と丼物を食べる。
そこでA社のKさんからバンコクでの問題解決を同行して手伝ってくれ、という
連絡が入り、シンガポールの秘書Cにチケットを手配するよう頼む。
明日の深夜シンガポールに帰るから、数時間寝てすぐまたバンコクに向かうこと
になる。
携帯に秘書Cから電話でチケットが手配出来たので僕の留守宅にデリバリーして
おくとのこと。
食事をしながら広告代理店と話し合い、解散。
タクシーで新大阪に移動し、T社のW(二人)Nさんと一緒に19:27分の新
幹線こだまで東京に向かう。
22時過ぎに東京に着き、ホテルにチェックインしたのは23時。
日本酒を飲み、トゥナイトとギルガメと爆笑問題とモー娘。などの番組を行った
り来たりザップしながら見て、眠った。







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