戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年7月11日〜7月16日


2001年
7月11日(水)

夜、何だか酔っ払った。
ひどく。

7月12日(木)


夜、星日報の人々と食事。
オペラのことを喋った。
ヴィヴァルディ四季、云々も。
営業の女性は昔レコード会社に居て杉山清隆と菊地桃子を扱っていたそうな。
「菊地桃子さんて、あのイメージのまんまの可愛い女性でした」
そういうものなのか。
帰ってから掃除と食器洗いと洗濯。
居間は綺麗になる。

7月13日(金)


どたばた忙しい。
朝方、リエから電話。ブリュッセル、ロンドンと移動して今はクアラルンプール
に到着したとのこと。無事で何より。
夜、部屋に戻るとリエが帰っていた。
ヨーロッパ旅行を堪能したようだ。良かった。
二人でホーカーズに出て食事。
食後にワインを飲む。
リエがそれでもまだ空腹を訴えるので中華三昧を作って供する。
「ベルギーは最低だったのよ」とリエ。「人々が暗くて不親切だし、特に観光地で外
人旅行者への嫌がらせで若者がマスタード・ガスを噴射して逃げた時には暗い気
持ちになったわ」
「マスタード・ガス? 痴漢撃退用みたいな?」
「そう。それで直撃された旅行者なんて一瞬目が見えなくなってへたりこんだり」
「ひどいな」
「だから案内してくれていたGも落ち込んでね」Gはアメリカ人でシンガポールか
らブリュッセルに転勤となった通信社の人間だ。「それからクアラルンプールもひ
どかったの。華人が底意地が悪くて嫌がらせするのよ。マレーの中国人て逆差別
されてるからかしら」
「へえ。そうなの」
「全然、シンガポールの華人と違うのよ。冷たいの」
VCD『女子アナ。』を少々見る。

7月14日(土)


朝食を作る。ご飯を炊いている間に洗濯物を出して買い物。
海老の殻を剥いて海老チリ卵と大根卸しと納豆とご飯を作る。
豪華な朝食である。
留守宅に郵便局から通知が来ていたのだが、リエとタクシーで当該郵便局に出向
くと、5月にロンドンに旅行した時に購入したブルー・ミントンの茶器が届いて
いた。
二人ともシンガポールの郵便局員の働きぶりに感心する。
ロンドンでは手の空いている人間は「私は係りじゃないから」と知らぬ顔の半平
(ハンベイ)を決め込むのだが、この国では手の空いている人間が率先して忙し
い列を助ける。
効率を旨とする国と、揺り籠から墓場までという考えに毒された国との違いであ
る。
タクシーを拾ってイーストコースに行き(大雨が降ってきた)、シー・スポー
ツ・センターが壊滅状態にあるのを確かめてから歩く。
イースト・コースト沿いの巨大日本ファミレス「千都」で食事。
この店の皿は一つ一つが巨大だ。
食後、少々歩いてタクシーを拾って帰る。

7月15日(日)


リエは午後四時まで延々と眠りつづける。
眠れる森の美女。
彼女は美人だが、僕は美女がどれほど獰猛な動物かを知っている。
大蒜と豚挽肉と玉葱と中華野菜を炒めて、ふわふわの卵で包んだものを作るとリ
エは喜び、ぱくぱくと食べる。
ご飯を炊いてオクラのカレーも作った。
旨い。
赤ワインで食す。
今度は、いつしか、僕が眠ってしまう。

7月16日(月)


社内定例会議に遅れた。
二日酔いだ。





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