戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年8月9日


2001年
8月9日(木)

シンガポールの建国記念日である。この日は去年も国外にいた。
朝6時起きで苦労しながらリエを起こす。彼女は眠いとゴネて昨晩荷造りを拒否
したからこれから慌ててパッキングだ。先送りの天才である。
7時半にはようやく何とか出れる体勢になり、タクシーを呼んでチャンギ国際空
港に向かった。
SQのラウンジでサンドイッチを食べる。リエは薬局に虫除けを買いに行った。
僕は空港の書店でロバート・B・パーカーの新作「POSTSHOT」が出ていた
ので買った。
8:55分発の15分前にゲートに行くとリエも来た。結局虫除けは買わなかっ
たという。
飛行機は定時に飛んだ。マイレージでビジネス・クラスを二席取ったのだが、
プーケット島までの近距離飛行だから意味がない。単にエコノミーが一杯だった
からだ。
あの島には1986年に行ったきりだから、15年ぶり。当時はクラブ・メドが
出来た直後だった。
税関の列が長い。
僕の後ろの小柄なアメリカ人と言葉を交わす。
フロリダ出身、NYで金融をやって20年になったところでリタイアし、プー
ケットに住んでいるとのこと。まだインターネットでちょこちょこディールはし
ている、とのこと。そういう人生もあるのだな。
外へ出ると宿泊するホテルTHE CHEDIの迎えが来ていた。
20分ほどのドライブだった。
道路は綺麗に舗装されているし、島は経済的に潤っているようだ。
ホテルはなかなかいい。孤立したバンガローになっているのだ。
リエは女子従業員の態度が気に食わない、と言っていた。
丘に茅葺き屋根のバンガローが並び、それらが櫓を組んだ通路で繋がっている。
椰子の木があり、向こうには白い浜と青い海が見える。優雅な光景だ。
バンガローにはきりっとクーラーが効いている。
インテリアもチープな感じではなくてナチュラルでいい。
窓辺にソファがあり、その向こうに浜を俯瞰できる。
次の間は拾いワードローブと洗面台になっていて、両サイドにシャワーとトイレ
が分かれて設えてある。バリ島のコマネカはシャワーではなくて、大理石の風呂
だったから、そこは負けている。とはいえ、なかなか洒落た宿だ。
シャワーを浴びて周囲をぶらついてから軽く食べる。
白ワインと魚介類のサラダとオマール海老。なかなか旨い。旅行先で料理が不味
いと悲劇だが、これなら大丈夫だ。
タクシーを呼んでもらってプーケット・タウンに出た。
ぶらぶら歩く。
ここはそれほど観光化されてなくて外人の人通りも少ない。
趣味のいい土産物屋に入っていると中華系タイ人かと思った店の主人が日本語を
喋った。
石井さんという方だ。広島出身だという。
ティクティクという吹き抜け小型トラック白タクと交渉して市場へ行った。
色とりどりの果物や野菜や魚が並んで楽しい光景だ。
リエはマンゴスティンを買った。
中華系のオジサン運転手は商売熱心で僕らを土産物屋に連れて行く。コミッショ
ンが貰えるからだ。が、どこも買いたいものがない店ばかりで、でも、「このスタ
ンプを集めると、僕は映画のただ券がもらえるから、ね?」と彼の調子良さに嵌め
られて、4件も回ってしまった。
運転手の映画チケットのために4件も土産物屋を回るなんて、この運転手の憎め
ない性格のためである。
パトン・ビーチに出た。観光地である。リエがサンダルを買う。
これがたちまち伸びて履けなくなるのでまた買う羽目に。
猥雑な通りでビールを飲み、待たせておいたティクティクで坂の多いチェディへ
の道を帰った。
海の見えるプールサイドのテーブルで夕陽を見ながらトムヤムクンとステーキと
赤ワインで夕食。
部屋に戻って町に出るシャトル・バスを予約したが、泥のように眠ってしまっ
た。
真夜中に目覚めた。
空港で見つけたペーパーバックを読みながら、部屋のミニバーからジョニー
ウォーカーの黒ラベルを飲み、マギーのヌードル・スープを飲んだ。
私立探偵スペンサー・シリーズ最新作「POSTSHOT」は復調していて面白
い。黒澤の「七人の侍」仕立てである。
こういう不健康な読書というのもリゾートの楽しみの一つだなと思う。






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