戸田光太郎の21世紀日記 2001年
  - 2001年8月1日〜8月3日
2001年
8月1日(水)
  - 立ち食い蕎麦屋で掻揚げ蕎麦を食べて朝8時半にはT社オフィスに行く。
 N社長の運転する車で大井町へ。
 ここ2週間で2度も十数年ぶり(厳密にはそうでもないのだが)の大井町に行く
 とは不思議だ。
 ミーティングの後でホテルに落として頂いて、スーツからカジュアルに着替えて
 チェックアウトし、オフィスに戻ってフォローアップの会議。
 スカイライナーを一本乗り過ごし、ぎりぎりの15:30発に乗る。
 成田までラップトップを打って、JALにチェックインしてからは雅楽の東儀氏
 と三木道山のCDと本を数冊買ってJALさくらラウンジ(こちらは、やはりシ
 ンガポールのさくらラウンジよりはましである)でラップトップを充電しながら
 書き物をして
 慌しく機上の人となった。
 シンガポールに着いたのは23時過ぎで、帰宅は真夜中の12時半。
 くたくただ。
 リエが居間で待っていた。
 秘書C嬢の手配した航空チケットは届いている。バンコクから地図も自宅ファッ
 クスに入っていた。
 シャワーを浴びて明日のバンコク出張の準備をしてベッドに入ったのは午前一時
 を回った。
 それにしても慌しい。
8月2日(木)
  
 眠りについたと思ったら目覚ましが鳴っている。
 シャワーを浴びてシャツとネクタイを着けてコンドミニアムのロビーに降りると
 ベンツが迎えに来ている。
 午前7:45だ。
 数時間にしてまたチャンギ空港に舞い戻っている。
 シンガポール・ドルをタイ・バーツに両替してからシンガポール航空のラウンジ
 で白ワインを飲み、サンドイッチを食べて8:55発の機上の人となって眠る。
 10:10にバンコク着。シンガポールとは1時間時差があるから飛行時間は2
 時間ちょいだ。
 空港から先方に電話を入れて確認し、現場へ行く。
 バンコクは高層ビルの会議室の大きな窓から見ると高層ビルが立ち並び、シカゴ
 かシンガポールかシアトルみたいだが、地上に降りると屋台やバイクや自転車や
 荷車がひしめいていて、アジアの混沌が露出している。
 会議した。
 渋滞のひどい街なので、15:30にはバンコクの中心を出た方がいいそうだ
 が、現地在の日本人のお薦めに従って「エンポリウム」という大きな百貨店を覗
 く。
 日本の書籍を売っている店でタイ語のテキストとテープを買った。
 二人の日本人主婦に向かって、これまた日本人のクリスチャン系尼さんが、「こ
 の本は本当に宜しいのですわよ」とか言っているのだが、二人とも「はあ」とか
 「へえ」とか言いながら本に手を伸ばそうともしない。
 暇な日本人の主婦が、つるみたくもない人間と、他にチョイスがないのでつるん
 でいるのである。辛い光景だな、と考えていたところに、ちょうど一人の若い主
 婦が書店の入り口近くに設置してあるピアノを弾き出した。これがまた、綺麗な
 バラードや夜想曲などではなくて、いきなりプロコフィエフのような難解な曲を
 ピアニッシモで弾き出したのである。
 音は大きいが技巧はある。しかし、本屋でこれをやるのは非常識だろう。
 狂気を感じる。
 本人は照れる様子もなく引き続ける。
 どう考えても音大か何かに行った人間の腕前だ。
 だって、普通に趣味でピアノをいやっている人間は、このような雑音みたいな
 20世紀の曲には手を出さない。
 シンガポールに残してきたリエのことを考えて、ちょっと不憫になった。
 「エンポリウム」内のFOLI FOLIでイアリングを土産に買った。
 すぐタクシーを拾って空港へ向かう。
 間に合った。
 シンガポール航空のラウンジで白ワイン。
 18:30の最終便で帰宅。
 22:00になっていた。
 リエはFOLI FOLIに大喜びである。
 良かった。
8月3日(金)
  
 久々の出社である。
 へとへとのまま働く。
 色々懸案事項があり、それを処理。
 
 
 
 
 
 
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