天気がいいの。香港島からフェリーで九龍半島に到着。既に開いていたHMVでマー
ラーの交響曲を一番から十番まで買って出社。
2003年ビジネス・プランに着手できないまま次から次に電話とメール攻めにあ
い、トラブル・シューティングに忙殺される。
せめてもの慰めにとマーラーの交響曲一番をこのPC、シャープのMebiusでかけつづけ
る。
夜、加藤周一「過客問答」読了。◎。非常に面白いインタビュー。加藤は血液学の医
学博士で、欧米各国で教鞭をとっている。ただし教えたのは日本文学が多い模様。比
較文化論が良かった。
何も出来ないままに時間が過ぎた。歯痒い。オフィスにあるJVCのミニ・コンポで、
マーラーの交響曲一番を聞きながら、グリーグの「失われた日々 VANISHED DAYS」
というピアノ曲を聴く。これが泣かせる。
秘書M嬢には、週末なのだから早く帰りなさい、と言っているが、実は大音響でクラ
シックを聞きたいからなのだ。
昨日朝マンションの板張り床を張り替えたのだが、本日はその磨きと塗装職人がやっ
てきた。指示して僕は外出する。SOHOまで降りて、まだ開店準備中のバーに入れ
てもらった。従業員は可愛いフィリピン人に見えたが、国籍を問うとネパール人だと
いう。香港にはネパールからの出稼ぎも多い。ネパール・レストランもこの界隈には
ある。
ネパールとは英国統治時代からの紐帯があるのだろう。正月にいた福岡ではリエの弟
と数日一緒に過ごした。彼は東大の院にいる。時々研究のためにソロモン諸島に行く
のだが、彼はソロモン語が話せる。その彼が最近、学会の報告でネパールに行ったそ
うだ。とても良かったという。そういえば香港オフィスのK嬢もネパールは良かった
と言っていた。
今年はネパールに行こう。全く知らない国だ。
ネパール人に給仕されてビール二杯とワイン一杯を飲んで煙草を吸っているうちに、
床の修復作業の終わる午後一時になった。
バーのこのソファーの位置からは香港島の坂道を行き来する人々、この辺の住人(白
人が多い)や荷車を押す肉体労働者(中国人が多い)や鮮やかな紅色のタクシー(的
士、と表記する)が見える。そこには詩があるのだ。元来、多幸症の僕は(こんな光
景を酒飲んで煙草を吸いながら観られて、しかもこの国で給料を貰って生活できるな
んて、何て幸せなことだろう!)と考えてしまった。イギリスでも何度もそう思った
し、日本でも街角で春先に着飾った乙女達を眺めていてそう思った。重度の多幸症患
者だ。
家に戻ると作業は終わっていた。
ニスが塗られたので渇くまで四時間放置しなければいけない。
再び家を出て動物園から香港公園、そしてパシフィック・プラザという、香港でも最
も美しい散歩道をリエと歩いて「指輪物語」の第二部を観た。〇。非常に映像が美し
い。こんなものを作る志は良しとしよう。しかし、木人間は馬鹿馬鹿しくて台無し
だったと思う。
パシフィック・プラザのゴージャス系中華料理屋で軽い夕食。それほど旨くない。
タクシーで帰宅。
ワインを飲み、シガーをふかしながら、リエと雑談。映画「カンダハール」のこと。
映画「GO」と原作について。加藤周一のイタリア感について。トスカーナについ
て。ネパールの旅行計画、中国について、などなど。
美人で頭が良い妻が傍にいるというのは最高だ、と重度の多幸症患者は考えたのであ
る。
読書。金平茂紀というTBSの「23時」のデスク(当時)の書いた「二十三時的」と
いう三段組で500ページほどある本を読んでいる。面白い。
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