戸田光太郎の2000年日記
- 2000年2月24日
2000年
2月24日(木)
- シンガポールから電話。7日に社長を押さえてその他一日会合を設けたのでチ
ケットを手配するから都合を聞かせてくれ、とのこと。早いもので、もう一週間
しか猶予がなくなった。
東京から明日の国際電話会議の打ち合わせ内容が来ている。
サラにいくつか用事を頼む。HR(ヒューマン・リソース=人事部)に支払いの件
を催促する。人事部長は水曜日まで休み。だが、部長秘書が経理に確認して明日
の入金が確認できた。
A出版から原稿の指示が入る。M出版のM編集長から今月のコラムの催促。英国
ニュース.ダイジェストの戸田番からは原稿の行数を削ってすぐメールしろとの御
下問だ。アムステルダムのテレビ会社から詳細連絡。元上司SのパートナーAか
ら連絡、英国の日本企業について知りたいとのことで月曜日のランチを約束。
突然慌ただしくなった。
D出版のM編集長にあと9本は原稿を送らなければいけないのに、もう一週間し
かない。
心配だった旅券が帰ってくる。非常に早い。リエの旅券にはしっかりと永住権の
ステッカーが貼ってあった。目出度い。
ソーホーの中華街に出て「チャン・チャン・クー」でヤムチャ(飲茶)して祝い、
「ディッキー&ジョーンズ」でリエに装飾品をプレゼント。昨日が結婚一周年だと
いうことを忘れたお詫び。
初年度から忘れるとは恐ろしい夫である。
明日の会議の準備をする。ニュース・ダイジェストには改稿をメールした。「オー
ト・ファッションIMP」にコラムを書いてメール。A出版に第一稿を書いた。そ
ういえばA出版の別の雑誌には写真を撮って録音して日英両方で文章を書くとい
う曲芸も頼まれている。雨天続きだから、晴れたら取り掛かろう。
贈答品がロンドン随一の高級百貨店ハービー&ニコラスから届く。木箱に入った
シングル・モルト・ウィスキーだ。The Macallanの25年記念特別版。
手紙がついている。MTVヨーロッパ社長Bからの手書きの手紙だ。これは気分
がいい。B社長は僕が酒好きなのを知っているのだろう。
今日は恐ろしいほど色々とついている。このツキは大切にしたい。
この25年物は明日から(!…今日も延期だ)禁酒生活に入ってから万事うまく
いった時、お祝いの日に封を切ろうと思う。
夜はシャンペンを抜く。苺と一緒に前菜果物として食べる。
ほうれん草入りパスタをシングル・クリームとスモークト・スコッチ・サーモンであ
える。サラダ菜にスモーク・ハムを彩りで散らしてロースト・ガーリック&ペパー
コーンのドレッシングで食べた。旨い。サラダは正解だったが、パスタは、もっ
とシングル・クリームとその中に入れる大蒜と玉葱を増量すれば豊潤な味になった
ろうな、と反省。
僕は料理が早い。半時間以内で何でも作る。そのかわり、下ごしらえしたり、
オーブンを使う料理は出来ない。下ごしらえは厄介だし、オーブンは使った後の
掃除が億劫なのである。
サマセット・モーム著「要約すると」読了。◎。前半が頗る面白い。わくわくしなが
ら読んだ。最後の哲学の部分は詰まらなかった。アンソニー・バージェスに言わせ
ると、モームは吝嗇のホモで短編小説を書く以上の才能はなかった、となる。本
人も本書で、自分はドモリで背が低くて人付き合いが苦手だと告白しているが、
ホモだとは明言していない。時代的に無理だったのだろう。自由を守るために結
婚しなかった、と記されているのがそれの暗喩だ。特に僕がお気に入りなのは次
の一節である。
「千部の本を読むことに、千の畑を耕すこと以上の価値はない。一枚の絵画に、正
しい説明を与えうることに、立ち往生した自動車の故障を発見しうること以上の
価値はない。いずれの場合も、それは特別の知識である。株仲買人も、職人も各
自の知識を持っている。価値のあるものは、自分の知識のみだというのは、知識
人の笑うべき偏見である。」(中村能三訳 新潮文庫)
モームはオタク系の物凄い読書家だったが、フランス語、ドイツ語、ロシア語を
解する旅行家でもあり、広く世界を見て文学の相対性を自覚していたのだ。
ボーダーズで買ったグローバー・ワシントンJrの「Prime Cuts:The Columbia
Years 1987 ? 1999」というご機嫌なCDを聞きながらこれを書いている。考えて
みればこの人の演奏も大学生の頃の「Just a two of us」からずっと聞いている。
2000年2月23日
2000年2月22日
2000年2月21日
2000年2月19日〜20日
2000年2月18日
2000年2月16日〜17日
2000年2月15日
2000年2月14日
2000年2月12日〜13日
2000年2月11日
2000年2月10日
2000年2月8日〜9日
2000年2月6日〜7日
- <表紙に戻る>
- <2000年日記トップページに戻る>