戸田光太郎の21世紀日記 2001年
- 2001年4月28日
2001年
4月28日(土)
- 荷物をまたパックして次の安宿に移る準備をするが、まだチェックインするには
早いのでスーツケースを預けて街に出た。
地下鉄で週末チケットとやらを買う。6ポンドで公共の乗り物が二日間載り放題
なのである。一区間が1ポンド50ペンスに値上がりしているのには驚いたが、
これなら許せる。
レスタースクエアに向かった。
僕は半額チケット屋に並んだ。9:50だというのに長蛇の列。
リエはコヴェント・ガーデンへショッピングに向かい、僕は列に残ってボリショ
イ・バレーのチケットを二枚買った。ステージ前から二列目の極上の席だ。
僕は神保町よりは見劣りするものの、楽しい本屋街であるチャリング・クロス通
りを散策した。
ビートルズ辞典とガイ・リッチー監督の脚本「SNATCH」とコアーズの写真集を買っ
てしまった。
街にはあまり日本人がいない。
雨がぱらついていた。
リエとピカデリー・サーカスの「ブーツ」で待ち合わせ、リージェント通り裏手の
パブでロースト・ビーフとスカンピとビターを二杯。
ロイヤル・アカデミー・オブ・アートに足を伸ばして、ダンテ「The Divine
Comedy(神曲のことである。
イタリア語では La Divina Commedia)」の、ボッティチェリが描いた挿絵の原画
展を見た。
イヤフォンに自分が見ている挿絵の番号を打ち込むと、オーディオ説明が効果音
を使って微に入り細を穿ち、背景を解説するのに驚いた。そういうとリエは、
「そういうキューレターの仕事がしたいのよ」とのこと。
しかし、この催しは余りに専門的すぎて僕のような素人には窮屈だった。
この美術館に来たのも10年振りで(つまり、ほとんどアートな生活を送ってい
なかった、ということだ)、構造が変わったのに驚いた。採光が良くなったよう
な気がする。前回は1991年くらいで、アメリカのポップ・アート回顧展で
ウォーホールやリヒテンシュタインが並んでいた。
さて次に新しいテート美術館に行こうということになった。
バスでピカデリー・サーカスまで移動し、ウォータールー駅へ。
大雨となった。
ピザ屋に避難してお茶をする。
雨が上がってからサウス・バンク(テムズ川南岸)を歩いた。
ロイヤル・フェスティバル・ホールに立ち寄って出し物をチェックすると、明
日、マウリツィオ・ポリーニが演奏する、とある。早速その場でチケットを二枚
購入した。48ポンド。
サウス・バンクをまた延々と歩いた。
カムデン・タウンのようにアクセサリー屋の並ぶ一角に出た。
その先でようやく「テート・ギャラリー・モダーン」に辿り付いた。
強烈に巨大な監獄のような建物がモダンなガラス張りで化粧されている。以前は
火力発電所か何かだったらしい。この広大な空間が無料で一般市民に開放されて
いる。土曜日なので人出が多い。
非常に充実した展示で、例のダリのロブスター電話からブラックやリヒテンシュ
タインまで現代美術が勢ぞろいしている。
現代美術はアイディア勝負のようなところがある。だから、作者の製作意図を
じっくり読んでいくと非常に面白い。
へとへとになるまで歩いた。
外に出るとまた大雨。
ブラック・キャブを拾ってアールズ・コートのホテルにまで帰った。
ようやくチェックインする。
着替えてまたコヴェント・ガーデン方面に引き返した。
シアター・ロイヤル・ドルリー・レーンでボリショイ・バレーを観た。
前から二列目なのでバレリーナの筋肉や汗まで見えるし、跳躍してステージに降
り立つドサッという音までする。迫力である。
モスクワで見たボリショイは遠目だったのでバレリーナがすーっと宙に舞い無重
力のように美しく優雅な動きを見せていたが、今回は生々しい。
リエは、バレーを見るのは僕と観た現代版「白鳥の湖」以来二度目だということ
で、感激していた。
前半は白鳥の湖で、後半はメドレー。後半が特に良かった。
前列のイタリア人のお兄さんが熱狂的なファン(ゲイだろうな)で、バレリーナ
に次から次へと花束を投げていた。
良かった。昨日は「シカゴ」に、あの下着衣装で出演したい、と言っていたリエ
は、「今からバレー始めるのって遅いかな?」本気で言っている。
「御免。無理だよ」と僕。
劇場の向かいのシケたパブで飲んでからコヴェント・ガーデン駅に出て地下鉄で
アールズ・コートに戻った。
僕はリエを寝かしつけてから一人でいったん安宿を出てスパニッシュ・パブで
ウィスキーをダブルであおり、昔住んでいたケンプスフォード・クレセントを散
策し、次に移り住んで家を購入したコールハム・ミューズの他人が住んでいる「跡
地」を外から眺めた。
恐ろしく多くの時間が流れたのだな、と思った。
異国の、何の関係もなかった土地がある時自分の住処となり、やがてまた離れて
いく。その場所はもはや自分には関係ない。が、いつまでもそこに存在する。こ
の辺りに住んでいた頃はシンガポールという国は僕の想像を越えていた。
僕の体は色々な場所を移動している。どんどん加速しているような気さえする。
僕はワーウィック通りからアールズ・コート通りに抜け、コートを買ったリーバ
イスの近くのクラブに入った。
酒を飲んで人々を観察する。
彼らの目の動きから、彼らの生活の実態や欲望の在り方が見えてしまう。
ろくな客はいない。僕も含めて。
またスパニッシュ・パブに戻ってチョリソとビールで仕上げしてホテルに戻っ
た。
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