戸田光太郎の2000年日記
- 2000年2月25日
2000年
2月25日(金)
- 朝7時起床。メイダ・ヴェイルの自宅からカムデン・タウンのMTVスタジオまで
歩く。9時前に到着。下のキャンティーンでカプチーノとサンドイッチを買って
から上階のサラとデイモンに挨拶。
まず、デイモンと打ち合わせしてから(彼は社内の政治的な動きに辟易してい
る)、サラが取ってくれた個室から東京とコンフェレンス・コール(会議電話)。
その後、シンガポールに連絡。僕が決めたのは、こうだ。来週の土曜日にロンド
ンを発って日曜日にシンガポール着。月曜日は時差調整でぶらぶら路上を歩き
(それまでにアポの入る可能性もある)、火曜日が一日先方とミーティング、水
曜日が日本移動、木・金が日本でミーティング、土曜日に英国へ向かう、という
もの。そう先方に伝える。
東京のNさんとあらためて話す。色々とご教示頂く。
カムデン・ハイストリートのイタリア料理店「ローズ・アンド・ジャックス」に久々に
足を運ぶ。この店には1991年10月の「ロンドン場所」で小錦がリムジンで乗
り付けて食べに来ているのだが、その時に彼が注文した品々が新聞記事となって
壁の額に入っている。これが凄い。
パスタ一皿。ソーセージ2本にマッシュ・ポテトと玉葱一皿。すぐまたソーセージ
2本にマッシュ・ポテトと玉葱一皿のおかわり。
スパゲッティ・カルボナーラ一皿。スパゲッティ・ボロネーゼ一皿。スパニッ
シュ・オムレツとフライドポテトの一品。チーズ入りマカロニ一皿。ハムとチーズ
のサンドイッチ五つ。炭酸飲料5缶。ミネラル・ウォーター大瓶一本。
以来SUMOという特別メニューがこの店には加わった。
僕は直後の1992年、MTVヨーロッパが100人足らずの従業員と共にマン
デラ通りにあった頃、よくここで昼食していた。
あれから8年。
会社の人間は98%変わり、状況は100%変化した。
時は流れる。
いや、逆に8年間で変化のない生活があるとしたら、それはそれで恐ろしいかも
しれない。8年といえば幼稚園児が中学生になるタイム・スパンである。小学4年
生なら大学生になる。
35歳だった僕は2000年の4月4日で43歳になるが、どう考えても8年前
の自分よりは頭の中は拡張されたと思う。偏見が減じて、自由度が増したのだ。
夜、リエとベイズウォーターに出てショッピング・モール「ホワイトレイ」のマルチ
プレックスで映画を観た。デ・カプリオ主演の「The Beach」。○。後半がダサい。
白人種の植民意識というのは根強い。本当のタイ人はもっといい人々だろうに、
また、「ディア・ハンター」のヴェトナム人みたいにロシアン・ルーレットを白人に
強要するタイ人が出てくる。カルト集団のボス的白人女性が一人の中心人物だ
が、いかにも実在しそうなキャラクターである。本国で通用しないような脱落白
人がアジアで自分のエゴを肥大させている。そういう構図。本国での抑圧が外地
で、より大きな反動として揺り戻されるのだ。醜い。
それにしても、ハリウッド映画には早川雪舟とブルース・リーくらいしか東洋人は
いないのではないか? ジョン・ローンは消えたし、ジャッキー・チェンは出ている
映画があまりにひどい。黒人だとシドニー・ポワチエの昔からデンゼル・ワシント
ンまで多くのヒーローを輩出しているというのに。
金城武では線が細い。
全盛期の三船俊郎みたいなルクスで背が高くて英語が喋れる東洋系アメリカ人は
いないものか? やっぱりベネトンの宣伝みたいにハリウッドも白黒黄色を出さな
いといかんな。
それはそれとして、デ・カプリオの演技は相変わらず手堅い。
PHP文庫で松下幸之助著「人を活かす経営」読了。○。ごくごく真っ当なことを
言っているだけなのだが、普通の人間にはなかなか真っ当なことをやり通すこと
さえ出来ないのが実状である。「信用」というものがキーワードだ。信用を築くに
は三年かかるが、信用を裏切るには三日で十分だ、というような言葉(記憶で書
いているから松下さんの表現とは違うと思う)が恐い。それは本当だと思う。
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