戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年4月29日


2001年
4月29日(日)

朝8時に起きる。
隣の食堂の声が五月蝿いのだ。
「こんな安宿だと、みじめな気持ちになる」とリエに言われる。そうか。僕は貧乏
旅行に慣れているし、むしろそれを楽しんでいるが、女性はそうではないのかも
しれない、と思った。
僕の普段の出張では星印のホテルに泊まっている。だから、自腹で宿泊するなら
安宿でいいや、と考えてしまうのだ。反省。
安宿の食堂は避けて、採光が良くて小奇麗な近くのイタリアン・レストランで朝
食した。リエはフレンチ・トーストとフルーツのサラダ。僕は伝統のイングリッ
シュ・ブレックファスト。綺麗な盛り付け。抜群の配色だ。
ここアールズ・コートは同性愛者地区なので、このレストランもホモとレズの宝
庫である。この日曜の朝、土曜の夜から明け方まで続いた荒んだセックスの匂い
を漂わせている人々。
ただし朝食は旨い。
食後、バスでハイストリート・ケンジントンに出た。
とても天気がいいので、昔住んでいたケンジントン・オリンピアまで延々と歩い
た。
ここだ。シンクレア通り95番。協会の隣に住んでいた。悔い改めるためだけで
もないのだが。アメリカ人の老女が家主だった。
当時の事を色々と思い出しながら、よく通った近くの若者向けパブを覗いた。
改装中だった。
これまた毎日使っていたシェファーズ・ブッシュ駅方面に回って東へ進み、ヒル
トン・ホテルに寄ってから、バスでノッティング・ヒルへ行った。
市の立っていないポートベロー・マーケットを散策してから再びバスでベイズ
ウォーターに向かう。
更にバスを乗り換えてエッジウェア通りに出て乗り換え、98番のバスでリト
ル・ベニスに出た。
そこから去年の5月まで住んでいたメイダ・ベイルの家まで散策してみた。リエ
と思い出を語りながら。
再び歩いてよく通ったリトル・ベニスの運河に掛かった橋の上のカフェに入っ
た。
このHPの管理者みやさんともここで食事したことがある。
サーロイン・ステーキとサラダとカルボナーラとグラスでロゼと白ワインを頼
む。仕上げはエスプレッソ。
リージェント公園周縁まで歩いてからバス284番でカムデン・タウンに向かっ
た。
セント・オーガスティン通り32番まで歩く。
考えてみると8年ほどのロンドン生活のうちで6回も引っ越していた。
そう。ここにも住んでいたのだ。日本人らしきギャルが住んでいるのがフレンチ
窓越しに見えた。
歩いてカムデン・タウンに戻り、本屋で東アジアの美術本をリエに買った。この
本が非常に重い。
バスに乗ってオックスフォード・サーカスに出た。
リエのお気に入りのデパート「ディッキー&ジョーンズ」で彼女が買い物している
間、僕は一回のカフェでお茶した。
そこか歩いてピカデリー・サーカス駅まで歩いて地下鉄に乗り、ホテルで休憩
し、着替えてからタクシーで
ロイヤル・フェスティバル・ホールへ向かった。
そして、マウリツィオ・ポリーニである。
圧巻だった。まるで手が観音様のように10本くらいあるような感じの超絶技巧
だった。
敵わない。
さすがのリエも、本日はピアニストになりたい、とは言わなかった。
だって、こんなの無理だもの。
特にショパンのエチュードが良かった。
コンサート・ホールを出て歩いた。
テムズ川を渡る。
トラファルガー広場に出た。
と、物凄い人だかりである。
ロックが鳴り響いている。
大きなモニターに映っているのはREMだった!
南アフリカ記念大会と書いてあった。
ロンドンでは毎日、色々なことが起きているようだ。





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