戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年1月20日〜27日


2003年
1月20日(月)

シンガポール本社と香港の会議室からテレビ会議。電話回線を使っているので人々は
モザイクになり、動きもガチガチしているわけだが、相手が知っている人間なので想
像できる。出張経費や、かかる時間を考慮すると、国際電話回線によるテレビ会議の
ほうが、コスト・パフォーマンスがいい、という理屈である。全く未知の人ともテレ
ビ会議できるほどの画質になる日も近いと思うが、そうなると、画面に映るためのビ
ジネス・エチケットが生じてくるだろう。つまり、極端な話、テーブルの下はフルチ
ンでも、上半身だけネクタイにジャケットであれば通用する世界だ。上半身と声と言
い回しが、これからのビジネスでは重要となる。
24日のイヴェントに向けてメールの量が急上昇する。溜まったメールが千通を越え
ないようにしているのだが、三百通ほど越えている。
広報部長のJ女史はテレビゲームで無限に増殖する敵を次々に退治していくようでき
りがない、といっていたが、まさにその通り。ふと視線を逸らしてモニターを注視す
ると、そこには十通くらいの未読メールのブロックが纏めて、どかっと入っている。
これがまた、「あなたにもCCで入れてあったわけだから、知らないとは言わせない」
という完読を前提としているメールなので読まないわけにはいかない。しかし、一日
24時間という時間には限りがあるから、勢い、自分に影響力がある人間、例えば直
属の上司からのメールには即刻返事をするが、部下からの定例メールは後回しになっ
たりする。
なんてことを考えて、ふと気づいた。ビジネスのメールについての本が一冊書けそう
だ。
だって、僕は、1992年に英国のテレビ局に入社したときからメールが存在した。
当時はアップルだったけど。もう11年前だ。
これから5年後にはPC付属のカメラで高画質のPC会議が一般的になるかもしれない。
明日からシンガポールのイベントのために出張なので、リエの分のチケットを自腹で
買い、ついでに、チャイニーズ・ニューイヤーこと旧正月の休暇で行くバンコクのチ
ケットを二人分買った。
タイにはロンドンのテレビ局で働いていた頃の同僚だったドイツ人Aが在住してい
る。彼はタイ人女性と結婚し、バンコク近郊に悠々自適しているのだ。あの頃のボス
はドイツ人のBで、BとAは大喧嘩をして別れた。Bは当時の営業部長だったのだが、リ
ストラされ、ロシアの系列テレビ局に移り、再びリストラされ、ニューヨークに移動
し、今はイスラエルにいるらしい。Bはユダヤ系のドイツ人だった。
考えてみると、僕はもう数冊本が書ける環境にいたのだが、忙しくて書けないでい
る。
バンコク近郊にいるAは読書家で、ポール・オースターが好きだった。僕と彼は社員
旅行でスイス・アルプスの同じ部屋だった。彼は果敢にウィンター・スポーツをして
いたが、僕は酒を飲んで読書していた。
人間は変わらない。
Aは今、仕事をしないでレコードを集めている、という。老人のようだ。
あれだけ営業センスのあった人間が、大金を作って、タイでお大尽となって、どう
なってしまったのだろうか? それはバンコクで明らかになるだろう。
夜、リエがオフィスに立ち寄り、近所の中華を食べる。蟹が旨い。鴨も旨い。牡蠣も
旨い。
タクシーを拾って帰る。
ワインを飲んで、荷造りして寝る。

1月21日(火)

6時起床でシャワーを浴び、持っていく本を選び、結構、悠々と準備。
タクシーを拾って空港特急香港駅に向かい、空港へ。
CX(キャセイ・パシフィック)のラウンジで寛いでいると、Sさんと会った。
驚きだ。
Sさんと最後にお会いしたのは多分、ドイツのケルンでのことである。ということ
は、2000年より前にさかのぼる。現在東京勤務のSさんがドイツ国内で所長にな
られていたそのA社、今はもうない。
シンガポールのチャンギ空港にタッチダウンし、タクシーでホテルアマラへ向かう。
チェックイン。シャワーを浴びてからオフィスに行く。
レセプションから入るとIS部長のシンガポール人Pと会った。彼はオフコースが好き
なので日本でBEST版を買っていってあげたことがある。それでか、いつでも便宜を
図ってくれる。まだ残っている僕の個室で彼にラップトップをLANに繋いで貰った。
メールを拾う。
リエから携帯に連絡が入る。今、チェックインしたという。彼女は僕とは別便、中華
航空で入国した。
ホテルが綺麗なので喜んでいる。「戸田ちゃん、ビジネス・ホテルだよ、っていうか
ら全然期待してなかったけど、なかなかインテリアもミニマリスムでいいじゃない」
喜んでもらって良かった。
仕事が終わってから在住していた頃にリエとよく通っていた餃子の旨い店に行った。
従業員の顔ぶれも変わっていない。
食後、旧正月で賑わう中華街を歩いた。驚くほどの人ごみだ。
中華街一帯は金と真っ赤に染まっている。屋台が出ている。煙が出ている。色々な食
べ物の匂いがする。身動きできないほどの人の流れにそろそろ疲れてきた。
ワインを買って帰る。ホテルの部屋でNHKとMTVを観ながらワインを飲んだ。

1月22日(水)

出社して色々と懸案事項を解決。
会場SIS(シンガポール・インドア・スタジアム)に向かい、途中のシティー・ホー
ルでリエを落とす。彼女は昔の仲間や友人に会うという。
会場ではパスの件で揉めた。僕のパスは、頼んでいたオール・アクセスではなかっ
た。アクセス区域が限られている。今年はバリの爆破もあってセキュリティーが非常
に厳しい。それと、まあ、僕が担当している以外のスポンサーが2社入っていること
もあろう。
日本組みは成田から出発した。
仕事を終えてホテルに帰るとリエも戻っていた。
エステに行って顔がつるつるになった、という。たいたい、である。有閑マダムであ
る。贅沢だ。
夜はホテル内の日本料理屋で寿司を食べる。シンガポール人の板前は、銀座にいたと
いう。道場六三郎のところで修行したと言っていた。「あの方の料理は、まず、目で
味あわせます」と、日本語が達者だ。

1月23日(木)

ホテルで日本組みと落ち合い、朝食を共にしてから、出社。
オフィスは片付いていた。秘書C嬢がやってくれたのだろう。
色々と懸案事項を片付ける。
15:00から英国人社長Fと日本からのN社長が会談。通訳はMさん。上級副社長Cと
Pも同席する。
その後、会場視察。
夜は20:00からホテル2階のタイ料理屋で大勢の客人と夕食。
22:00にO社長がホテルのロビーにいらしてチケットを手渡す。
リエはルームサービスでチキンライス。とても不味かった、とのこと。

1月24日(金)

早いもので、いよいよ当日。
東京組みと大勢で朝食を摂り、10:00前に会場に向かう。
下見や視察をしてから一度帰り、ホテルでスーツに着替えてまた会場に舞い戻る。
14:30からVIP同士の挨拶等にアテンド。
昼はモニターでリハーサル風景を見ながら、VANSHのカレーを皆で食べる。
18:00前にVIPルームへ移動。
18:30にドアが閉まり、皆は19:00の開演前には席に収まった。リエと画廊
で元上司だったBさんを見つけ出してポスト・パーティーのチケットを手渡した。
司会はR&Bの大立者シャギーと「グリーン・デスティニー」のアカデミー賞歌姫コ
コ・リーの二人で、彼らは歌いもしたし、堂々たる司会ぶりだった。
ミシー・エリオットはごく普通。
台湾の才人ジェイ・チャウは最高だった。まず、旧正月を祝うような群舞がいい。そ
こに太鼓を叩く彼が姿を現し、中国語でかっこよくラップし、カンフーでダンサー達
を薙ぎ倒し、ヌンチャクを振り回す。彼は受賞した時も下手に英語など喋らず、中国
語で通した。中国人というアイデンティティーに拘っていて見事。ドラゴン・アッ
シュみたいに完全に黒人ファッションになってアクションも黒人そのものでいて何を
言ってるんだかわからない日本語で歌うというのは納得できないが、ジェイは立派
だ。
ロビー・ウィリアムズはやはり大御所感を漂わせる余裕のパフォーマンスだった。ア
ワードを受け取っても客席にあげてしまうという悪党ぶり。アワードを作った人は傷
ついたろうが、それがワルである彼の特徴だ。アワードのプレゼンターにはスエード
やリンキンパークがいた。
アトミック・キトゥンのパフォーマンスは最低。こんな学芸会、やる意味がわからな
い。マッチボックス・トゥエンティはストレートなロックとして、バリエーションと
して正解だった。Kポップスのj.t.l.も楽しかった。
アブリル・ラヴィーは1998年にミラノのイヴェントで賞を総ざらいした頃のブリ
トニー・スピアーズの勢いがあって、可愛いし、ティーンの心を掴んで、大物へとブ
レークした。厳しいこの世界で生き残っていくのは本当に大変だと思うけど、まだ1
8歳だし、バンド・メンバーとも仲良しのようだから、何とか生き延びるだろう。T
シャツにネクタイというファッション以外にもどんどん発明していかないといけない
から大変だが。
ステファニー・スンはインド風で良かった。
トリはブルー。こればっかりは去年のウエストライフの方が、華があって良かった。
ポスト・パーティーは去年と同じINDOCHINE。
リエとBに、ここで落ち合えた。系列局の中国、インド、韓国の所長達と久しぶりに
会う。
奥のVIPルームで、旧友たちに挨拶し、タイの可愛い歌姫パルミーと話した。K
ポップスのj.t.l.のメンバーとも話す。残念ながらロビー・ウィリアムズは帰っ
てしまったみたい。だけど、リンキンパークのボーカルと親しく話せたのでリエは大
喜びだった。
二人ともシャンペンや赤白ワインを浴びるほど飲んだ。

1月25日(土)

昨晩というか、今朝は、どうやってホテルに戻ったのか記憶がない。
二人ともひどい二日酔いだ。
ゆっくり起きてホテルの一階で朝食。
また眠る。
夕方、プールで泳ぐ。ロンドンで同僚だった中華系英国人Nがいた。彼とはロンド
ン、ニューヨーク、東京でばったり出くわすのである。プールサイドで読書して
ジョッキでビールを飲む。リエは文化人類学の本を読んでいる。僕は疲れているので
軽い本だ。ロバート・B・パーカーのスペンサー物の最新作ペーパーバック.を読
む。
8章目に、スペンサーが聞き込みに足を運んだ銀行で、広報部に勤める女性が「Of
all the banks, in all the world, you had to walk into this one.」と言った時
に、どこかで聞いた台詞だな、と思い、スペンサーが「We’ll always have
Cambridge」と返答したときに気づいた。映画「カサブランカ」の、両方ともボギー
の台詞ではないか。傷心の彼が、自分の酒場に入ってきた昔の恋人イングリッド・
バーグマンのことを「世界中に酒場なんてごまんとあるのに、よりによって、どうし
て俺の店に!」と毒づく場面と、最後にレジスタンスの戦士と彼女を無事に飛び立た
せようと仕組んだ彼が、ボギーとこの地に残りたいと言い張るイングリッドに、昔の
楽しく暮らした頃のパリに言及して「俺たちにはいつだってパリがあるさ」と説得す
る場面だ。家に帰ったら、カサブランカのスクリプトを見てみよう。
ロバート・B・パーカーは古い映画と古いJAZZが好きだ。スペンサー物の初期
「レイチェルウォレスを探せ」だったか、「ユダの山羊」だったか、どちらかの最後
のガンファイトのシーンは、ボギー主演の「キーラーゴ」のラストからのパクリだっ
た。
プールから上がってから、ホテルのスパでリエと並んでマッサージしてもらった。施
設は非常に立派で大きな風呂が付いている。僕は気持ち良くて眠ってしまう。
風呂はまた別の和室みたいなところにもあり、我々はそこに移された。これまた立派
な部屋。深いバスタブがある。先ほどのマッサージでえ使ったものと同じオイルを入
れて水面に南国の鮮やかな花を散りばめた風呂に入る。香りがいい。ジャグジーに
なっている。泡立つと花びらが浮き沈みする。
これはいい。堪能した。
夜はまたホテル2階のタイ料理を食べた。辛すぎる。汗は出るし、涙も出るし、あま
りの辛さに頭が痛くなった。これは異常だ。拷問に近い。食欲も減退するし、疲れ
る。
部屋でぐったりする。

1月26日(日)

以下、恐縮だが、尾篭な話となる。
起きて脱糞すると肛門が沁みた。痛い。肛門に味覚はないが、辛いのだ。痛い。痛
い。昨晩の夕食の香辛料が濃縮されて肛門を通過するので、非常に痛い。こんなこと
は初めてだ。
タクシーを拾って、リバーバリに朝食を食べに向かうが、目当ての店は閉じていた。
またタクシーを拾う。
古本を扱う喫茶店「BON GOUT」で名物のカレーを食べる。と、D社のMさんに
会う。彼の子煩悩な父親としての姿を初めて目にした。
古本を大量購入する。タクシーを拾ってホテルへ。
リエがいよいよバスルームに入り、僕と同じ苦しみを覚えていた。異常な辛さであ
る。
荷造りしてチェックアウトしていると、ロビーにいたNが来て握手する。昨日プール
で会ったロンドン時代の同僚だ。彼はその昔、郵便を配る小僧から出発してここまで
になったのだから立派だ。同じ時期に郵便をやっていた白人のRはまだ郵便室でメー
ルを仕分けしているのだから、大きく違ってしまった。
荷造りしてタクシーでチャンギ国際空港へ向かう。
名残惜しい、とリエ。有閑マダムとしての南国ホテル暮らしは最高だったようだ。
旧正月休みはリエと一緒にバンコクへ行く。そっちは僕も純然たるオフなので楽しめ
るだろう。
本物のタイ料理は肛門を傷めるほど辛くはないはず。

1月27日(月)

一大イヴェントが終了したので皆、気が抜けている。
シンガポールから帰ってきたKは「疲れた。仕事する気になれない」と言う。そりゃ
そうだろう。
シンガポールにもあまり人がいないらしい。
東京組みはまだ残っているのでいくつか遠隔手配をした。
夜はシャングリラの「なだまん」でリエが通訳をしている顧客からご馳走になる。




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