戸田光太郎の2000年日記
- 2000年2月12日〜13日
2000年
2月12日(土)
- A出版から原稿用紙10枚の仕事の発注。
納豆にさっと煮たオクラと長葱を入れ、あつあつのご飯で朝食。ミルクと味醂と
醤油と鰹出汁を入れた卵焼きと、昆布と鰹出汁に大根を刻んだ味噌汁も平行して
作った。旨い。
先週の「The Sunday Times」に追いつこうと読んでいたら書評欄に「ウッディ・アレ
ンをめぐる女たち」というようなハードカバーの紹介があって彼の映画が観たく
なった。
ウッディ・アレン「誘惑のアフロディーテ」を再見。◎。最初に見た時よりずっと面
白かった。相変わらず、上手い。二十数年前の「アニー・ホール」からこっち、作る
映画がほとんどどれも平均点以上だというのは凄いことだ。
夜、リエは学友たちとのパーティー。
僕は近所のパキスタン人からカレーを学ぶ。オクラとかコリアンダーの使い方な
ど。
玉葱に生姜と各種香辛料と小麦粉とラム肉を入れて炒めてからチョップト・トマト
の缶詰や林檎ジュースやグアバ・ジュースやウスターソースや醤油も加えてカレー
を作る。後からじゃが芋を加え、食べる前にコリアンダーを散らした。旨い。
原稿を書いてニュース・ダイジェストに送った。
2月13日(日)
- 佐治芳彦「太平洋戦争もうひとつの真実」を読む。○。日本軍はロジスティックス
=兵站学を蔑ろにしたために戦争に敗れたという説である。兵站とは、食料や弾
薬を運ぶ「後方部隊」のシステムのことである。これは前線と同様に重要なのであ
る。
王妃リエが目覚めてから、あまりに天気がいいのでマーブル・アーチまで出る。ハ
イドパークへ地下道を渡り、スピーカーズ・コーナーへ。
スーツを着た黒人集団が過激な演説をしていた。こんな感じだ。
「英国はローマの侵略から多くの文化を拝借した。しかし、ローマ文化はギリシア
に借りがある。そしてギリシアといえば、エジプトに溯るのだ。エジプトの国名
は言語で『黒人の国』という意味である。君達白人は、我々黒人から多くを拝借
したのである。今、時が来た。君達が我々に借りを返す時が来たのだ!」
迫力あるスピーチだったが、めちゃくちゃな論理だ。文化なんて世界中をぐるぐ
る回って貸し借りしているものである。結局最後は物乞いしているように響くの
が寂しかった。
ハイドパーク・コーナーまで南下し、地下道からグリーン・パークへ移動した。グ
リーン・パークの角に黄色いハイビスカスが咲いていたのでリエがはしゃぐ。「も
う春なのね!」
花に感動する心を捨てたら人間ではなくなるな。そう思った。
バッキンガムパレスの方面に歩く。久々に衛兵を見た。
芸術系映画館CIAの演目を確認してからセント・ジェームス・パークを散策。池
の水鳥を眺める。
通りに出て、ダウニング街10番を覗く。果たしてブレア首相は在宅だろうか?
そこからピカデリー・サーカスまで歩き、シャフツベリー・アヴェニューのスター
バックスでカフェラテを飲んでから中華街で食材を買って、夜はパスタと中華を
作ってフランス産の赤ワイン(コート・デゥ・ローヌ)で食べた。
本当に珍しくも素晴らしい天気の日曜日だった。
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