戸田光太郎の2000年日記
- 2000年2月26日
2000年
2月26日(土)
- リーバイスの膝が破れてもずっと履いていたのだが、やっと決心してオックス
フォード通りの「マッド・ハウス」でセール中の黒いストレート・ジーンズを買っ
た。「istante」というヴェルサーチのブランドだったのは偶然である。
中華街の駐車場に車を入れて、久々「新世界」で飲茶(ヤムチャ)。満腹だ。
駐車代が8ポンド近いのに驚く。値上がりしたのだ。
助手席にリエを載せてブライトンへ向かってドライブする。
ブリクストンなどロンドン市内の有色人種区域を通り抜けていくのだが、非常に
渋滞していた。
世界の都市は、その「金を生む機械」であるという機能を底辺で支えるための外国
人、移民、下層民を周辺に抱えている。その有色人ドーナツが外苑を囲んでいな
いと都市は成立しないのだ。同時に色付きドーナツは中心に生きる人間からは見
えない。無視されている。プラトン哲学の視界に奴隷が入ってこないことと一緒
だ。カール・マルクスには見えていたのかもしれないが。
午後2時に出発してブライトンに到着したのは午後4時半。町中の駐車場に車を
置いて5時に閉館するロイヤル・パビリオンへ滑り込んだ。
ここはジョージ4世がブライトンの離宮として作ったのだが、外観はインド風、
内部は中国風にしていて面白いところだ。リエは中国陶器の勉強をしているの
で、明朝から起きた西欧の中国ブームや清朝の風俗、龍の意味などを説明してく
れる。
僕は宴会場とそれに対比した大厨房が好きだ。表の大広間に料理を供給するため
に、厨房も同等の広さを持ち、優に50人は働いていたことが想像できる。
ジョージ4世はインチキな異国趣味に騙されていたようだが、それはそれで面白
い。
埠頭の遊園地まで歩き、幽霊電車と横揺れする乗り物に乗った。リエはぎゃー
ぎゃー騒いでいた。確かに「横揺れ」は操作する青年が我々には過酷な動きを負荷
した。故意に。
埠頭から眺める夕刻の海と岸辺の建物が美しい。鴎が風に抗して我々の目の高さ
で静止している。
ここはオランダのデン・ハーグと非常に似ていた。
ブライトンの海に近い可愛い小道で、いくつもある感じのいいレストランの一つ
に入った。
リエはトマトのスープとフィッシュ&チップスとティラミス。僕はマッシュルー
ムのガーリック炒めと胡椒味ビーフと果物サラダ。赤ワインで。観光地なので期
待していなかったが、なかなか旨かった。仕上げは紅茶。
車を拾って出発したのが8時。帰りは有色人種ドーナツ地帯の喧騒を避けて環状
線M25から迂回してヒースロー空港の手前でA3を走ったが、やはりこれでも
2時間かかって帰宅は夜の10時だった。
運転出来ないドライブ好きのリエは一日ニコニコだった。
僕はバスタブに「Sleepy Milk Bath」を振って浸かった。
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