戸田光太郎の21世紀日記 2001年
2001年1月27日〜1月28日
2001年
1月27日(土)
- リエはギャラリーに土曜出勤。
僕はプールで泳いで読書。吉本ばななの「日々のこと」を読み終わる。多分、忘れ
ていたけど、これを読むのは二度目だ。プールから出て靴箱探し。
アンモン・キ・オに行く。
昨日見終わった松本幸四郎の「王様のレストラン」に触発されてフランス料理が食
べたくなる。
リエをギャラリー迎えに行ってから、予約しておいた、政府の重鎮も来るという
「レ・ザミ」で夕食する。
トリュフのサラダやエスプレッソ風茸スープやローストされたラムなど絶品だっ
た。魚介類は多分、チャイニーズ・ニューイヤーでマーケットが閉まっていたせ
いだと思うのだが、それほど新鮮ではない。
ワインもサービスもデザートも良かった。
特にワインのリストは圧巻。
目次が付いていて、フランス・ワインならばボルドーは何ページから何ページま
で、という具合に続く百科全書なのである。
ソロモン諸島でフィールドワークしているリエの弟さんはどうしているだろう
か、という話になる。
ソロモンが研究対象となった理由がそもそも、地球上で最も原始的な人間の営み
が残っているから、ということだから、推して知るべし、である。
内戦が続いていて、ずっと危険度5を超える地域だったのだが、ごく最近、許容
範囲ぎりぎりの危険度5まで落ち着いたところで、教授たちが外務省をごり押し
して許可されたのだという。
ウェイターにタクシーを呼んでもらってコンドミニアムに帰る。
上機嫌のリエと、無人の青く輝くプールを眺めて部屋に戻った。
1月28日(日)
リエは朝起きると「戸田ちゃん、ありがとう、フレンチ美味しかったねえ」と喜ん
でいる。フランス料理の余韻が翌日まで続くとは。
そんなに喜んでもらえるなら、もっとフレンチに誘いたい。
僕はバブルの東京でかなりフレンチを食べて、そして1990年から欧州に住む
ようになったから、フランス料理に対する有り難みはなくしてしまった。
でも、やはり、フレンチ料理屋の醸し出す演劇的空間は他のどのようなレストラ
ンも敵わないものなのかもしれない、と認識を新たにした。
「あんなに食べたのに、もう空腹なの、いいフレンチは消化もいいのかしら」と言
うリエに、彼女の好きなウドンを作る。昆布出汁に長葱と卵を入れて。
僕は休日だが、彼女はギャラリーに行く。これくらいはしてあげよう。バリ島で
買ったコーヒー豆でミルク・コーヒーもいれてあげる。旨かった。
部屋を片付け、プールで泳ぎ、読書し、HPを更新し、蕎麦を煮て納豆と出し汁を
かけて昼食として、買い物し、掃除し、洗濯し、足りない物を買い足し、などと
続けていると、へとへとになる。家の仕事は本当に色々とあるものだ。
もう夕方になっていた。ベッドでうとうとしていたが、もうそんな暇はない。
午後五時に、リエから電話。もう帰ると言う。空腹だそうだ。
ご飯を炊く。通勤は30分もかからないで炊き上がる。
トマトを切り、ギリシャ赤玉葱を加え、青紫蘇ドレッシングで和えた。ビール
で。
納豆ご飯にキムチ。
フレンチの翌日にはあっさりしていて、いいだろう。
風呂からあがった彼女に西瓜を出す。
お香を炊き、立ち仕事で疲れたという脹脛をマッサージした。
僕はタクシーが迎えに来て、東京出張に向かう。
リエが寂しがる。
一週間のお別れである。
ビジネス・ラウンジでツナサンドと赤ワイン
機内でメラトニンを飲んで寝る。
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