戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年4月30日


2001年
4月30日(月)

近所のインターネット屋でEメールをチェック。
イギリスからでもシンガポールの会社のLANに入れるから便利だ。
いったんホテルに戻り、荷造りして近所のホテルへ引っ越す。
「こんな安宿だと、みじめな気持ちになる」と言ったリエが不憫になったので。
今度は綺麗なプチ・ホテルで、彼女も上機嫌。
そのままスーツケースをポーターに渡して街に出た。
リエはショッピング、僕は半額チケット屋に並んで本日のミュージックを買っ
た。「ノートル・ダム・ド・パリ」だ。
リエと待ち合わせしていたレスター広場のワインバーがレジの故障で閉めている
ので外の椅子で待った。
「デイリー・テレグラフ」紙を読む。
一面記事で昨晩のトラファルガー広場での大騒ぎの全貌が解明した。
南アフリカ開放記念大会には元ボクサーの黒人闘士ネルソン・マンデラとト
ニー・ブレアが手をつないで舞台に登場した、とある。スパイス・ガールズのメ
ルBやロンドン市長ケン・リビングストンや大蔵大臣のゴードン・ブラウンが来
ていたのだ。
REMの他にクアーズも演奏したようだ。でも、まあ、こっちはポリー二を聞け
たから、いいや。
コベント・ガーデン方面から戻ってきたリエと肖像画美術館三階にある見晴らし
のいいレストランで昼食した。
広い窓から、トラファルガー広場を飛び越して屋根屋根の向こうにビッグベンと
国会議事堂が見える。
僕は子牛の肝臓、リエは鮭料理。
シンガポールと比べると一皿13ポンド(2600円)は高いが、ロンドン値段
としては高くない。
シャンペンを抜いてもらった。ボーイ達が可愛いハンサム君である。
食後に美術館の肖像画を眺めた。
ビートルズもあれば、ジョージ・オーウェル、ジョイスからエリザベス女王の一
家の肖像画まである。が、その中にダイアナの絵は一枚もなかった。
その大衆的な人気から、ダイアナを表立って非難することが出来なかったエリザ
ベス女王および王室だが、彼らの総意がこういうところへ顕著に表れている。
リエが近々ロンドンに住むならハイゲート、とわけのわからない主張をするので
地下鉄で行った。
車の通りが激しい。坂が多い。階段も長い。
私立学校があるようで制服姿の可愛い生徒がいるが、あとは退屈そうな町だっ
た。
寒い。空模様がまた怪しい。
ホテルに戻って二時間も寝た。
夜、トッテナム通りで「ノートル・ダム・ド・パリ」を見るが、粗雑な演出に、二
曲目でリエに「最悪。時間の無駄だ。帰ろう」と言ってしまった。
「でも、これから良くなるのかもしれないよ」と彼女。
酷い歌曲と腐った演出に痺れてきて、僕らはインターバルの時に脱出した。
セントラル線でベイズウォーターに出る。
「オリエンタルが食べたい」と早速言い出したリエを連れて常連だった「マンダリ
ン・キッチン」で名物ロブスター・ヌードルと豆苗を食べる。
タクシーを拾ってホテルに帰り、赤ワインを買って飲んだ。







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