戸田光太郎の2000年日記
- 2000年12月25日
2000年
12月25日(月)
- 朝、僕は義弟とリエに和朝食を作った。
義弟は植物園に向かい、途中、動物園ではリエと合流した。
非常に疲れている僕はパスして、家でごろごろと読書。
桐生センセの「光源」を読む。◎。座りのいいプロットはないのだが、現代のセコ
イ映画界が良く描かれていて感心した。よっぽど映画少女だったのだろうな、こ
の人。
夜は疲れたというリエを残して義弟と飲みに出た。
彼は「ボート・キーで飲みたいです」と言ったのだが、あそこは観光客や白人が多い
ので、僕は以前タクシー運転手が言っていたJCという飲み屋に初めて行くこと
にした。
タクシーを拾う。
JCの近くはイスラム信者の多い通りで賑わっていた。
イスラムの祭日が27日なのだ。
JCは女性のいるカラオケ・クラブみたいな所だった。
客は現地人ばかりで、女性は北京官話の出来るベトナム人女性ばかり。
「これは弟だから」などと義弟を紹介してベトナム女性と飲む。ほとんど娼婦のよ
うだ。僕は彼女達に左手の薬指の付け根をぐるりと一周する金具を見せた。
隣りの、殴られたのか額が切れて出血し、片目が充血しているシンガポール人男
性に、この店の他にはどこがオススメか、と聞く。
東海岸にある「EUROPA」というディスコがいいと彼が言うのでタクシーで移
動する。
海岸のすぐ近く、体育館のように広いディスコだった。
女の子がつくわけではない。
飲んで踊って飲んだ。
義弟がプールバーに行く、という。
長い順番待ちとなる。
生バンドが始まったので僕はフロアに出て踊り、また飲んだ。
義弟もやがて戻ってきて踊り、飲んだ。
ビリヤードはこてんぱんにやられたという。
その相手がカウンターにやってきたので挨拶し、赤ワインを奢った。
彼、実はここのマネージャーだった。
少々疲れたのでタクシーを呼んで貰い、家路についた。
リエはまだ起きていた。
今夜の首尾を報告し、眠りに就いた。
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