戸田光太郎の2000年日記

2000年2月27日〜28日

2000年
2月27日(日)

紅茶を飲み、冷凍していたカレーを食べる。リエと北上。コリンデールのオリエ
ンタル・シティーまでドライブ。
ラーメンと餃子と焼き飯をNOTOで食べる。焼き飯は最悪。
スーパーの品々もウエスト・エンドより高いので馬鹿々々しくなる。徒波書房でリ
エは漫画(コーラス)を買い、僕はシンガポールのレストラン・ガイドを買う。
ホーム・ベースに寄って鉢と土を買う。土は重い。
家に戻る。観葉植物を大き目の鉢に移し替えて土を盛った。腐葉土の匂いがす
る。いい土だ。
野花草を買ってきて横長の鉢に植えた。赤と黄の花を交互に。
死に掛けている木も植え替えた。
育ってくれ。
ウエスト・エンドまで運転して日本食材の買い出し。
リエが空腹だというので急遽引き返して、彼女の食べたいという和食を三十分で
作る。オクラ入りひき割り納豆と卵焼きと大根の味噌汁とお新香に熱燗。「これ、
昼間のラーメンと段違い!」とリエは喜ぶ。簡単な和食ほど美味しいものはない。
東京とロンドンの関係者に3月のシンガポールと東京のスケジュールをメールす
る。今回、神戸に行けないのが残念。
次回はリエと一緒に、みやさんに再会したい。

2月28日(月)

車でリエを大学近くまで送る。
百貨店「セルフリッジス」にて紅茶とローストビーフのサンドイッチで朝食。この
ローストビーフ、「与志野」のランチでミニ懐石を食べるのと同じ値段である。高
い。が、土曜日など、飛ぶように売れている。確かに旨いが。
ヴォクソールまで出てAと昼食。Aは父がデンマーク人で母がフィリピン人。父
はジャーナリストで他界している。母もジャーナリストで今はイタリアに住んで
童話を書いている。最初の作品は、もう何カ国にも翻訳されているらしい。最
近、二作目のシノプスを持ってニューヨークを回ったという。彼女の60歳の誕
生パーティーは大々的にイタリアで開催される、とAは言った。情報交換が終
わってから、英国情報機関MI6のビルディング(007の最新作に登場する)
の近くにある彼女の事務所を覗いてスタッフに挨拶してお暇する。
夜は原稿を仕上げて東京にメールした。
昔の職場「某米資系食品会社」元同僚からEメールが入っていた。驚く。2000
年はあの会社、揺れそうだ。でも、その兆しは僕が辞めた1988年から明らか
だった。それは皆も知っていたはずだ。
それにしても地元の直営M店を閉鎖するとは正気の沙汰ではない。あの店は社員
が実際に自社製品を試したり、営業状況を確認したり、新製品を開発したり、商
品撮影したり、という重要拠点であり、いくら経費がかかっても一店としての損
益でははかれない豊饒な利益をもたらしていたものである。
早期退職にしろ、粗利率の変更にしろ、地方の事務所閉鎖にしろ、剣が峰、であ
る。経営陣の腰はかなり引けている様子だ。この最後の足掻きが功を奏するとは
とても思えない。
会社が倒産する時は引き潮のように消えていく。
傍系だからF社に吸収してもらえる社員はほとんどいないだろう。F社本体だっ
てボロボロなのである。
早期退職を受け入れつつ、アクションを起こした方が得だろう。
この会社以外にも色々と見てきた僕は、「某米資系食品会社」元同僚達が今から考
えても、なかなか優秀な人材だったということを知っている。国際的な人材の
揃った企業で働いた自分の目から見ても、彼らはなかなかの人物だった。
仲良しクラブのようなあの会社を出るのは非常に心細いものがあるのだろうけ
ど、彼らは立派にやっていけると思う。
タイタニックが沈む前にボートに乗った方がいい、というのが先輩からの助言
だ。(でも、これって、10年前にも言ったよね?)





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