戸田光太郎の21世紀日記 2001年

2001年2月20日〜22日

2001年
2月20日(火)

連日連夜朝4時・5時まで飲んでいた、という奴が多い。
僕は数年前からそれはあまりしなくなった。
一日中会議。
夜はリパブリック・オブ・マカティというかっこいいバーで夕食した。
ビュッフェ形式で食べて、踊る。
北京やボンベイで踊り方を教えた韓国人女性や北京駐在の台湾女性が僕に踊ろう
というので彼女たちを順番にくるくる回して踊った。と、皆が輪になって手拍子
する。
僕はステージに上がって、皆に昔懐かしいスパイダースの踊りや「パルプ・フィク
ション」でジョン・トラボルタのしていたダンスを皆に教えた。アジア各国から来
た社員がそれをリピートした。
最後にマイケル・ジャクソンをコピーしたムーン・ウォークをしてみたが、これ
は真似できなかったようだ。
ダンス、ダンス、ダンスで、汗をかいた。
インドからの社員のテーブルについて飲んだ。
愉快だ。
そこを出るバスに乗る。
ホテルにつくと、ABCこと、アメリカン・ボーン・チャイニーズである香港の
Hに誘われてピアノバーに向かった。
「戸田、弾いてくれ」というので一緒に弾き語った。
Hはぼろぼろに酔っていて、でへでへでへ、というような情けない人になってい
た。
リエにFAXする。
昔一緒にバンドをしていたギタリストのHちゃんがシンガポールに来るのだけれ
ど、僕がシンガポールへ帰国するその日に日本へ帰ってしまう、という事に関し
てのFAXだった。

2月21日(水)


昨晩も朝まで飲んでいた奴らがほとんどだという。
僕には、そういことは、もうできない。
2歳から11歳をターゲット。
Cはバーから落ちて病院入りしているという。
バスで空港へ。
ラウンジでビールとウィスキーを飲んでくつろぐ。
14:30のSQ便でシンガポールに向かう。
部屋に着いたのは19:00頃。
「わたしを一週間も放っておいて、ひどい」とお冠のリエと南都で食事。クリーニ
ングをピックアップ。

2月22日(木)


仕事の後でリエとスコッツ・ロード伊勢丹の「とん吉」で待ち合わせて食事。
食後にGUESSでリエにジャケットを買う。
コーヒーを飲んでから「ハンニバル」を観た。
アンソニー・ホプキンスは相変わらずの怪演である。
FBI役の女優はジョディー・フォスターより数段上、適役だった。一作目「羊達の
沈黙」も彼女が演じれば良かったのに、と思う。
リドリー・スコットの映像は秀逸。






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