戸田光太郎の21世紀日記 2002年

2002年4月22日〜30日


2002年
4月22日(月)

SQ便が6:40には成田に着地した。シンガポール時間では5:40。ずっと「週間朝
日」などを読んでいたので2〜3時間しか寝ていない。成田に早朝着いて困るのはスカイ
ライナーが7:50まで動いていないことで、その上、喫茶店が開いていないことだった
のだが、今回からはスターバックスが営業していた。偉い!
上野には9時頃到着し、ソフィテルに早朝チェックインする。
シャワーを浴び、スーツに着替え、オフィスに出て皆さんに挨拶。
夕食を含めて営業活動に入る。

4月23日(火)

東京出張二日目。遅くまで働く。
夜はA社のHさんとN社長とで新橋の『とみたや』で夕食。
ここのしゃぶしゃぶは絶品で過去10年間、何回かVIP連と食事した。今週の金曜日で
店仕舞いとなるというので来たのだ。70年以上の歴史がある。農林省御用達だったが、
その当の農林省の不手際もあって、狂牛病騒ぎが痛手となったという。
残念だ。
ほどよく熟成された牛刺が旨い。我々が座って歓談していると、湯をくぐらせた肉をポン
酢や胡麻タレに浸して差し出し、全てを用意してくれる仲居さん達、彼女達もばらばらに
散っていく。

4月24日(水)

東京出張三日目、明日シンガポールでミーティングがあるので夜19時のSQ便で帰る。
東京を出たのは逆算して16時。帰宅は真夜中近く。

4月25日(木)

二日酔い。昨晩、機内で飲みすぎた。スーツで出社、夕方、J社で打ち合わせ。東京から
来ていたレコード・レーベルの方も参加。打ち合わせの後で、日本食をご馳走になり、食
後も飲む。

4月26日(金)

明日からリエと個人旅行で香港に行く。日本のゴールデン・ウィークに合わせて賃貸物件
を探すのが目的。秘書のC嬢に頼むことも気が引けるので自分で旅行代理店に行って支払
い、チケットとホテルのバウチャーを入手。

4月27日(土)

朝6時起床。8時、リエとチャイナ・エア便で香港へ飛ぶ。
手配しておいた日系エージェンシーのS支社長と元気な香港女性Mさんに運転手の豪華キ
ャストが15:00に九龍半島の繁華街チム・サー・チョイのホテルに出迎えてくれる。
最初の物件は上環(ションワン)近辺のコンドミニアムで、立派な造りだったが、やはり
香港は部屋が狭い。九龍半島側の海が見えて眺めはいいのだが。ここで2物件。
更に上環(ションワン)の西の港に面した巨大マンションに行く。これはまあ、立派な建
物で白人居住者が多い。港に面した部屋は圧巻で、海とタンカーと九龍半島側の摩天楼が
一望出来る。洒落た家具付きで、所謂サービス・アパートメント形式になっていて、毎日
清掃してくれてタオルを取り替えてくれる。ホテルに住んでいるようなものだ。従業員も
ホテル務めのような制服で教育が行き届いている。ジムもランニングマシーンが港に面し
ている。海側の広い部屋にすると予算オーバーなってしまうが、この眺めとビルの重厚さ
とサービスは突出している。
後はどんどん香港島側の東へ東へと、コーズウェイ・ベイやサイワンポーなどの物件を見
るが、日本の団地みたいで興味が持てない。特にサイワンポーの新築マンションのエレベ
ーターで子供とサイクリングから戻って乗り込んできた父子のやりとりを聞いていると:
「おい、動くな馬鹿野郎」とミニ自転車の息子を叱り付ける。息子は叱りつけなれているの
か無表情。父親は他の乗客に無関心で不機嫌丸出し。
ここに住んでいると幸せになれないのではないか、と後でリエが指摘した。
ぴかぴかに立派に見せている割には入り口の鉄柱がいきなり倒れてきて驚いた。厚化粧の
安普請なのだ。エレベーターも揺れていたし、動きが遅かった。ぴかぴかの新築の盲点に
引っ掛かったからあの父親は不機嫌だったのかもしれない。4部屋も見せられたが、却下。
中環(セントラル)の物件が最後。ソーホーにあって、周りの環境はカフェやパブや画廊
があり、いいのだが、非常に狭い物件だった。
S支社長に注文する。「こういう場所でもっと広い物件があるといいのですが。あとは二
番目に見た港に面したサービス・アパートメントが良かったです」
18:00にホテルで落としてもらい、二階のレストランで夕食。
日本のエージェンシーだけでは心もとないので香港女性Lにも連絡し、要望を再確認して
おく。

4月28日(日)

リエは少々風邪気味。11:00には日系エージェンシーのS支社長と運転手がホテルに
迎えてくれる。日曜出勤の支社長である。
「ウチみたいな会社は日曜出勤するようなお客さんが来なくなったらオシマイですから」と
のこと。
本日は九龍半島の物件を手広く10件ほど見る。
葬儀屋街の物件はなかなか見晴らしが良く、香港島の摩天楼が見えて良かったが、少々狭
く、カフェやパブが近所にないのが難。青衣の物件は遠い。
昨日お願いしていた中環(セントラル)の物件は手頃なのがないという。
やはり日系エージェンシーの限界だろうか。
「ジャスコやダイエーが近い」ということが「売り」の団地みたいなものばかりになってしま
う。
午後、遅い昼食を摂ってから香港女性エージェンシーLさんに手配してもらった香港男性
Nさんと連絡し合いながら中環からフェリーでディスカベリー・ベイに向かう。リエが雑
誌で読んで「最近トレンドなっている欧米系駐在員のメッカ」と記述されていたので興味を
持った所だ。日本人は習性として団地的な住居に惹かれるようだが、それを避けられるか
もしれない。我々は日本語無しでも暮らしていける。
フェリーに乗る直前にNに連絡した。船着場で待つ、とのこと。
25分で上陸。
ランタオ島の小奇麗な浜だ。
小太りの中国人男性Nが出迎えてくれる。
「ここがプラザでスーパーやカフェや韓国料理屋やマックや中華料理屋やなんでもあるん
です」とN。なんだか地方都市のショッピング・センターのようで魅力はない。
白人家族だらけだった。駐在員家族のメッカなのだろう。
「ここでの移動は車が使えません。だから空気は綺麗で騒音もない」と、Nはゴルフのカー
トを運転して我々を案内した。「カートも制限されていて高価なレンタル費用が必要です。
環境には気を使っています」
その考えは悪くない。特に支離滅裂な公害大国、中国大陸を考えると。
最初の物件は海に突き出したようなマンションだった。
これは凄い。
香港島の摩天楼も見えるし、ディズニーランド建設予定地も近い。リゾートである。
「戸田ちゃん、凄いね、ここ」とリエも感激していた。
居間も寝室も海に張り出している。
しかし、出張の多い僕に置いていかれる、極端に怖がりの彼女は、一人の夜、波音などに
耐えられるだろうか?
他にディスカベリー・ベイでは10物件ほどを見た。
スウェーデン人カップルが住んでいたというコンドミニアムは、がっちりした造りだった
が、やはり最初に訪れたマンションが、海と一体化した立地で、たまらなかった。
ゴルフカートで移動し、もう一度見る。
ディスカベリー・ベイで住むなら、ここだ。
しかし、僕の香港でのオフィスは九龍半島の繁華街チム・サー・チョイにある。MTR(地
下鉄)で中環(セントラル)に出て、そこからフェリーでディスカベリー・ベイに移動す
るというのは、フェリーでマンハッタンに通勤するように風情はあるような気もするが、
毎日1時間もかけるのは辛い。雨の日だって嵐の日だってあるわけだし。
Nさんのカートでプラザで降ろしてもらった。
白人だらけ。
日曜の午後、白人家族は、パブさえないこの島のプラザ広場の酒屋でビールを買ってしゃ
がみ込んで飲んでいる。
これは、あんまりだ。
パブがないということは文化がないということに等しい。僕のような酒飲みに言わせれば。
ここは非常にピューリタン的な島で、白人駐在員家族がピューリタン的価値観で群れるに
はいいところなのだろう。
僕には出来ない。
そういうことをリエに説明した。
彼女も同意した。
本質的にエピキュリアンの彼女にこの島は住めない。
我々はフェリーに乗って中環に出てMTRで九龍半島の繁華街チム・サー・チョイのホテ
ルに戻った。一日半で30物件を見て、二人とも疲れている。

4月29日(月)

僕の勤務するテレビ局の、香港オフィスにHという支社長がいたが、辞めてしまった。今
はレコード会社で働いている。
彼は所謂ABC(アメリカン・ボーン・チャイニーズ)で、アメリカの大学でMBAを取
得して流暢な英語を喋る、長身でハンサムな、昔の言葉で言うと、ヤッピーだ。
香港オフィスでHの秘書をしていたSが、Hが以前住んでいたマンションのテナントを探
していると言っていた。この件はシンガポールからEメールでやりとしていたので、この
朝、九龍半島の繁華街チム・サー・チョイのホテルから歩いて3分の香港オフィスに顔を
出して、皆に挨拶し、S秘書からCのマンションの細かい情報を聞き出した。マネージメ
ント事務所に鍵を預けているというので後で寄ってみることにする。
で、ホテルに引き返してリエと中環(セントラル)に出て香港女性エージェントLと待ち
合わせて徒歩で物件を逍遥した。
驚いたことに、日系エージェンシーとは全く物件が違う。日本人の好む団地は一切排除さ
れていて、注文した通り、セントラルのコンドミニアムに限られていた。それを立て続け
に12物件見た。
そのうちの一つが、なんと、H支社長が住んでいたマンションだった。L女史が紹介して
くれた物件は少々狭い。
反則技かとは思ったが、僕は告白した。「Lさん、実は知人が紹介してくれた物件がここ
にあって、下のオフィスから鍵を拾って、見てもいいですか?」
Lさんはかなり複雑な顔をした。構わない。
そこは広かった。
ドアを開くとオープンスペースで、キッチンのバーカウンターがある。
H支社長好みの気障が光っていた。
ウォークイン・クロゼットもある。
窓も多く、眺めもいい。プールもある。
リエは気に入った。
僕は予め値段は聞かされていた。予算を若干越えている。
50あまりもの物件を見て、結局残ったのは、港の見える豪華ホテルのようなサービス・
アパートメントと、このH前支社長の物件だった。
中環(セントラル)のイタリア料理店で食事し、日系エージェンシーに寄って、香港女性
Mさんからもう一度、港の見えるサービス・アパートメントを見せてもらった。セントラ
ルに向かうシャトル・バスの乗り場も建物の中にある。至れり尽せりだ。
九竜半島のオフィスに寄って皆にリエを紹介し、S秘書からレコード会社に勤務する前社
長のHに電話を入れてもらい、これから自分のオフィスになる個室に入って電話を回して
もらって話した。
「君らしいスタイリッシュなマンション、気に入った」
「それは良かった」
「今晩の予定は?」
「8時半から夕食が入ってる」
「その前に、ちらっと会えないかな、条件を詰めたい」予算オーバーなので交渉しなければ
ならない。
「いいよ。わかった。今どこだい?」
「オフィスにいる。夕飯の場所は?」
「香港島側」
「じゃあ、そっちに行くよ」
「ホテルで待ち合わせる? コンラン? マリオット? 言ってくれ」
「マリオット。7時半」
リエとホテルに戻り、シャワーしてテレビを見て着替える。
チム・サー・チョイからMTRでアドミラルに出て小奇麗な地下街を歩いてマリオットの
ロビーに出た。リエには、「HはハンサムなプレーボーイでアメリカでMBAを取ったよ
うな奴で、僕とはマニラのピアノバーでビートルズを歌った。ピアノを弾いたのは僕。彼
はギターが弾けるらしい」などと話していたが、7時半になってもHが現われないので彼
の携帯に電話した。
「やあ、今、ホテルの真ん前。30秒で着くよ。緑のジャギュワだ」
と聞いてホテルの外に出ると、ロンドンの金融界で働く畏友Tさんが乗っていたのと同じ、
クリーム革張り内装、グリーンのジャギュワがやってきた。僕は、当時Tさんからそれを
買おうかと考えていた時にシンガポールに移住することとなったのだ。リエと乗り込む。
正面の運転席にはアメリカ生まれの中国男性Hと恋人の白人美女がいた。
挨拶する。
白人美女Pはフィンランド人だという。
「僕は十数年前にヘルシンキに行きました。皆が誇らしげに、フィンランド随一のデパー
ト、ストックマンに行ったか、と執拗に問いただしました」と言った。
「あなた、ストックマンを知ってるの?」と彼女は驚いた。
実を言うと、ストックマンは日本の地方都市の百貨店以下、の品揃えだった。それを言う
と彼女は傷つくかもしれない。僕は彼女が自嘲的に故郷を語るまで、本音は控えた。
緑のジャギュワはぐるぐると丘を上がって行く。
Hの物件はセントラルのエスカレーターの一番上まで上がった横手にあって、すこぶる便
利である。車で迂回して駐車し、我々は彼の所有するマンションに上がった。
Hが電気を消して部屋を売り込む。
「見てごらん、この夜景、凄いだろう」
僕は値切るために難癖をつける。「でも、H、あそこのビルが工事をしているからうるさ
いじゃないか」
「でも基礎工事は終わってる。土台を打ち込むのは確かに騒音だったけど」
しかし、まあ、日本美女のリエは喜んでうろうろしているし、フィンランド美女のPもあ
れこれ説明しているので、我々男性人は、今晩、苛烈な商談には至れなかった。
だって、値切ったり、吊り上げたり、って、あまり格好良くないからな、女性の前では。
「半年前まで僕はここに住んでいた。凄く気に入っていたんだ。でも、彼女はフィンラン
ドみたいに豊かな緑が恋しくなって、もっと郊外に移りたがったんだ」

4月30日(火)

朝、香港女性Lと待ち合わせて、日系エージェンシーも見せてくれた港の見えるサービス・
アパートメントを再度見た。
考えた。
やはり立地が悪い。
ふと歩いてカフェやパブに足を伸ばすことが出来ない。
タクシーかシャトルバスが必要だ。
それでは困る。
Hのマンションなら気軽に下界へ降りられる。
ディスカベリー・ベイもそうだった。美しい海や、このサービス・アパートメントから見
える港は絶景だ。でも、人間は景色だけで生きているわけではない。
パブやカフェやスーパーマーケットが身近にないのは辛い。
ここは駄目だ。
ホテルの部屋に戻り、荷造りしてチェックアウトした。
13:10にはバスが迎えに来て、空港に向かう。
デューティー・フリーの充実した空港でリエは思う存分逍遥して、帰途についた。
夜、シンガポールの自宅に着いてから僕は香港のHに電話した。
「さあ、じゃあ、値段交渉に入ろうか」
Hはここ数ヶ月、最初のテナントに悩まされた、と白状した。
家賃を遅滞して、数ヶ月で動いてしまった。
「今度は出来たら、自分の知ってる人間にレントしたいんだよ」
彼がカードを曝け出してくれたので、僕も予算と限度を話して合意に至った。







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