戸田光太郎の2000年日記

2000年1月19日 

2000年
1月19日(水)


昨晩、帰宅すると日曜日の日記に、このHPを管理している「みやさん」が映画
「Three Seasons」に関するあらゆる情報をリンクしておいてくれたので読んだ。な
るほど。監督と俳優の裏話に笑う。
このY2K日記はラップトップやデスクトップや、その時々ヨーロッパか日本か
アメリカのどこかにいる僕の手にする末端で書かれて、神戸在住のHP管理者「み
やさん」に送られて彼が更新してくれている。と、日本や欧州の読者の方々がアク
セスしてくるのである。
拙連載コラム「欧州の路上で」に早速この映画のことを書いて編集部に送った。
コラムはロンドンのダイジェスト・インターナショナルに僕が送ると編集部の「戸
田番」である早川さんが、「英国ニュース・ダイジェスト」と「フランス・ニュー
ス・ダイジェスト」と「ドイツ・ニュース・ダイジェスト」の版に落として、その段
階で更に神戸の「みやさん」にフォワードされて世界同時掲載(ああ、大袈裟な)
されるわけである。
去年末に「みやさん」が十年ぶりくらいにロンドンに来て、僕とも十年ぶりくらい
に再会した時、彼はしきりに、「イギリス人も十年前より日本人に似てきましたね
え」と言っていた。
「どうして?」と僕。
「まあ、インターネットやテクノロジーは2年か3年前の日本程度に遅れています
けど、何んていうか、彼らが考えていることが、僕らとあんまり変わらない
な、って気はするんです。ここ十年で随分近づいたっていうか」
僕は一つには「みやさん」が大人になって人間が見えるようになったからではない
かと思った。昔は風景の一部だったような、ただのガイジンだった人々の心が、
今では表情や服装から読み取れるようになったのだろう。そして、また、やは
り、ここ十年の地球の均質化は急速だったのだろうとも思う。
去年末、坂本龍一氏をインタビューした時、これは雑誌には書かなかった部分だ
が、彼がモンゴルに行った話の中で、「地球はどこも似てきたと思う。若者はどこ
でもリーバイスとナイキだし、ソフトウェアとしてはウィンドウズなんかが、功
罪はあるけど、世界標準のコミュニケーションの基盤を作ったことは大きいと思
う」と言っていたことを思い出した。
ベッドで村上龍の対談集を読んでから、少々眠り、出社。東京に連絡。
シンガポールに英国人Cさんに連絡。彼は休暇中なのだが、快く応対してくれ
た。電話する前にこれをアレンジしてくれた英国人の元上司Sさんと打ち合わせ
していたので助かったわけだ。
またこの件は一週間後に追いかける必要がある。
英国人の局長が僕の席に近づいてきて言葉を交わす。思惑通りの反応が引き出せ
ているが、ここは油断できない勘所である。
ペルシャ美術の講義が終わったリエと落ち合ってソーホー中華街の「チャン・チャ
ン・クー」で飲茶のランチをしてから仕事に戻る。
そして人事の英国人女性と英国人上司と三人で第三回目の話し合いをした。
人事の女性は非常に緊張している。
昨日と本日相談した周りの騒音(「これくらい分捕れる」「俺が首切りするときに
はこのくらいふんだくられた云々」)に惑わされたが、最終的に出てきた退職
金は当初僕の方から話した額にほぼ沿っていた。と思う。
会議の後でE弁護士に手紙をファックスして意見を聞かせてくれ、と伝言した。
彼から携帯に電話が入る。
なかなかフェアなものである、というのが彼の意見。
こんなもんなのか。大金持になれるわけはないか。
しかし、こうやってE弁護士からフェアな扱いだと言われると、多少ホッとする
のは確かだ。
弁護士から次の勤務に移行する際に重要となる手紙を書くよう言われて、一字一
句、彼の言葉を書き留めた。これは明日清書しよう。
「ところで、あなたに払う弁護料だけど」と僕は気になっていることを質した。「巨
万の富を引き出せたわけではないから、それほど払えそうにありませんが」
「は?」彼は訝しがった。
「僕は、毎回こうやって電話する度に冷や汗をかいていたんですよ、いくらチャー
ジされるのか、って。だって、ほら、言うじゃないですか、弁護士はそのドアを
ノックした瞬間からチャージするって」
E弁護士は声をたてて笑った。「それは悪かった。言っておくべきだった。弁護士
によっては時計のチックタックでチャージする者もいますが、そうでないものも
いるわけです」
「あなたは?」
「私はしません。ましてや矢澤豊さんのお知り合いですし。いくらでも電話してく
ださい」
「じゃあ、明日から五分おきに電話します」
E弁護士は僕の馬鹿なジョークにまた笑ってくれた。挨拶して電話を切る。良心
的な人だ。矢澤さん、ありがとう。
今日はもう疲れた。
僕はパブ(英国の居酒屋)へ向かった。
取りあえず、第一ラウンドはゲームセットだ。


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