戸田光太郎の2000年日記

2000年2月22日

2000年
2月22日(火)

昨晩は遅くまでバンク・アカウントやら免許書やら公的機関からの手紙やら賃貸契
約書やらと資料を集めていた。リエの永住権申請のためだ。彼女は日本の英国大
使館で去年手続きして仮印をもらっていたのだが、一年後の今、2000年の2
月から3月の間に英国のホーム・オフィスで申請しないとそれが無効となるのだ。
東京と交信し、サラに用事を頼む。
東京のスウェーデン人ヘッドハンターに連絡。
午後にホーム・オフィスのあるクロイドンにリエと向かう。
ベイカールー線終点エレファント・アンド・キャッスル駅から英国国鉄で東クロイ
ドン駅へ。アガサ・クリスティーに「クロイドン発なんとか」という小説があった
が、ここのことかもしれない。
ホーム・オフィスには有色人種の列があった。アラブ、インド、中国。構内で整理
券を渡される。F183番。廊下に引かれた色帯の中から指定の青色を追って二
階へ向かう。窓口が10ほど並んだ部屋は有色人種でむんむん混み合っていた。
香辛料の匂いがする。掲示板を見ると現在処理されている番号はF50番だっ
た。道のりは遠い。
空いている別室に移動し、リエが構内に入る直前に買ってきたジャックト・ポテト
を食べる。
今朝、リエの友人のMさんから電話があった。Mさんは昨晩、ロンドンのソー
ホーで見知らぬ白人に殴られたという。病院に運ばれ、警察で調書を取られ、朝
まで眠れず、ずっと落ち込んでいたという。Mさんは30歳の日本女性。大学院
生だ。今まで、トルコやアジアを旅行していても危ない目に合わなかったので、
(そんな私が)と余計にショックだったらしい。以前、Mさんの友人の日本女性
も英国人のボーイフレンドとソーホーを歩いていて、スキンヘッドの小柄な白人
に呼び止められ、「君の彼女か?」と聞かれ、ボーイフレンドが「そうだ」と答えた
瞬間、メリケン・サックを付けた拳でボーイフレンドの方が鼻をへし折られたとい
う。
スキンヘッドは走り去り、190cmもあるボーイフレンドは道に崩れ落ちた。
一人で歩いていたMさんは裸の拳で額をヒットされたという。最近の「アエラ」で
ロンドンの日本人女性が暴力を振るわれるケースが頻発していると書いてあり、
心配したMさんの両親から電話があって「お前は大丈夫か」と聞かれ、「あたしは狙
われるようなヤワなタイプじゃないから」と答えた矢先の事件だったそうだ。
バブルで目立っていた頃の日本人ならともかく、不況ニッポンの、それも女性を
殴るとは、なんと情けない奴等だ。
それにしても黄色人種である自分を含め、毎日永住権や労働許可を申請する人間
がこれだけいるのだから大英帝国の植民地経営のツケは大きい。こうして膨れて
いく有色人に対して血の巡りの悪い白人の若者が苛立つのは理解できるが、それ
が日本人女性に向かう、というのが納得できない。ただの弱いものイジメではな
いか。
小柄な日本人男性を集めて女装させてソーホーを徘徊させ、スキンヘッドを叩き
のめしたい。いや。叩きのめしてもしょうがないな。捕獲して警察に突き出すの
がいい。俺は長身なので女装したら、ただのオカマになってしまうので殴っては
もらえそうにない。
さて、14:00に到着して我々の整理券F183に順番が来たのは4時間半後
の18:30だった。
旅券も書類も証明写真も全て完備し、皮ジャン姿がほとんどの中で唯一のスーツ
姿の効用か、すんなり手続きは終わり、僕が近々海外旅行する予定があるので旅
券は3月頭には返却して欲しいと言うと優しそうな黒人女性係官は「最優先」とい
うオレンジ色のタグを付けてくれた。2月中に返却するとのこと。
英国国鉄でヴィクトリア駅に出た。もう19:30である。
イタリア・レストランで食事した。パスタにワイン。長い一日が終わったのでワイ
ンを飲んでしまった。結局禁酒は一日だけ。また明日から再開する。やれやれ。




  • 2000年2月21日
  • 2000年2月19日〜20日
  • 2000年2月18日
  • 2000年2月16日〜17日
  • 2000年2月15日
  • 2000年2月14日
  • 2000年2月12日〜13日
  • 2000年2月11日
  • 2000年2月10日
  • 2000年2月8日〜9日
  • 2000年2月6日〜7日
  • <表紙に戻る>
    <2000年日記トップページに戻る>