戸田光太郎の21世紀的香港日記 2003年

2003年2月10日〜2月11日


2003年
2月10日(月)

シンガポールとTV会議。
明日からのバリ島での会議の三日目にトレーニングのプレゼンテーションをすること
になっているのでパワーポイント・プレゼンテーションをしこしこと作った。

2月11日(火)

香港空港のCXの広々としたラウンジでカタカタとプレゼンテーションを叩いている
と、同僚の香港チャイニーズ女性Rが来た。「仕事してるの?」
「うん」と僕。「発表あるんだ」
プレゼンの仕込みはしっかりしていないといけない。
K嬢も合流し、朝の便でバリ島へ飛んだ。
午後には南国に到着していた。
地中海クラブの送迎バスで移動する。
世界中どこの地中海クラブに行っても出くわす「お出迎えの音楽」に歓待されて
チェックイン。
今では幸い一人部屋があてがわれる。
英国人の上級福社長からお呼びが掛かる。プールサイドのオープン・バーに出向くと
僕を含めてやや古株が藤椅子の上に揃って今回の会議を成功させるためには、という
ようなことを話した。
僕としては、皆が混じり合うことが一番大切だ、と力説した。
傾向として、台湾のチームは台湾人同士で、韓国人は韓国人で、シンガポール人はシ
ンガポール人で、と固まる傾向があるから、それを敢えて混ぜる必要がある。ヨー
ロッパでもそうだった。イタリア人はイタリア人、ドイツ人はドイツ人という具合
に。僕はたった一人の日本人だったから、飛び込んでいくしかなかったけど。
「じゃあ、君はブレンド担当ね」と言われてしまった。
英国人上級福社長はシャンペンを注文して皆に振舞った。
僕は部屋に引き上げてプレゼンを作った。
夜、全員で食事。英国人上級福社長は女装してクレオパトラに変身して皆を出迎え、
大笑いとなった。彼から注意事項や目的が語られ、ブレンド係りの僕からも「皆、人
種を越えてまじわってください」とお願いした。
大いに飲んで食べる。
食後は韓国人女性Pが仕切ってバスをチャーターし、町に飲みに行こう、と主張して
いたが、僕は疲れていたし、バリの爆破事件のこともあって、クラブ施設内に留まっ
た。
プールサイドで飲んで踊って、最後に僕はエレビスを歌った。
インドと台湾のチームが特に大騒ぎで喜んでくれた。
シンガポール本社では、会議中に雰囲気が煮詰まった時に突然僕がデスクの上で腰を
振りながらエルビス歌って状況を変えた、という噂があるらしいのだが、そんなこと
は一回もしたことがない。
こうやって目立つから噂が一人歩きするのだ。
今回は自粛したい。
と、思っていても、シンガポールから来ているプロデューサーと激しく踊っていた。
ムーンウォークもしてしまった。いかん、いかん、自粛せねば。





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