戸田光太郎の21世紀日記 2002年

2002年5月9日〜5月13日


2002年
5月9日(木)

出張前に朝帰りとなってしまった。
昨晩残業しているとTさんから電話があり、「戸田さん、香港に移ってしまうんです
か? 寂しいな。社長も『戸田君を中国に取られたの? 大丈夫かい、今のプロジェ
クト?』と心配してましたよ」と言われた。
業務内容は全く変わらず、我々のプロジェクト・チームはシンガポールにそっくり残
るし、香港で更に人員が付くので安心して欲しい、と説明した。「どの道いつも飛び
回っていますから、どこを拠点にしても一緒だし、ひょっとすると出張ベースで行く
シンガポールの滞在日数は現在より増えるかもしれません」
僕は次に社長の携帯に電話した。ざっと香港のことを説明し、これからどこかでお会
いできないかと尋ねた。で、某所で落ち合い、もう一軒ハシゴして、大騒ぎして帰宅
すると1時を回っていた。かなり呑む。社長は青年期からチェ・ゲバラが好きで中南
米に長く駐在した人で、僕は普通の日本人の規格から外れたスケールに感服してい
る。僕はコリン・パウエルの自伝のことを話し、社長は父ブッシュとチェイニーとパ
ウエルがノリエガを逮捕した教会が彼の住居の目と鼻の先だった経緯を話してくれ
た。
寝室でリエが起きて待っている。
僕はシャワーを浴びてから荷造りして眠って起きて、今、チャンギ国際空港のシンガ
ポール空港ラウンジでこれを書いている。二日酔いを白ワインとサンドイッチとトマ
トジュースで迎えながら。
荷造りした時に突っ込んだシャツがカフスを必要とするものだったから、これから
カフス釦をデューティーフリー店で買ってゲートに行こうと思う。
フィリピンへ向かうSQ便でパワー・ポイント・プレゼンテーションをいじってか
ら、これを書いている。
ピエール・カルダンのカフスを買った。同じ便に乗っているはずのTさんは見つから
なかった。
機内映画で『市民ケーン』をやっていたので久し振りに見て、ぶっ飛ぶ。これは凄
い。奇跡的産物。悪魔的天才の仕業。26歳くらいの青年がこの脚本を書き、演出
し、主演するとは、信じられない。ここには人生のあらゆる要素が盛り込まれてい
る。どうして20代の青年にこんなことが書けたのか、全く理解できない。男女のこ
と、夫婦のこと、ビジネスのこと、政治のこと、老いのこと、感情、金、環境、地
位、芸術、死。若者の直感だけではない。それをここまで巧妙に構築して形にし、青
年期から老年、死に至るまでを陰影に富んだ演技と、徹底したメイク、衣装、美術で
作り上げたことに驚嘆する。彼の伝記を読む必要がある。
マニラに到着して空港の外でTさんと合流し、ハイアーでマンダリン・ホテルへ。1
5:10にはロビーに降りて支社長自らのお迎えでミーティング。
現地に根付いた元気な日本人女性Kさんの意見が素晴らしい。全ての日本人がこのく
らい元気で前向きなら、過去10年間の日本経済の停滞はなかったと思う。
Tさんと英語と日本語チャンポンでプレゼンテーションしてからホテルへ戻り、支社
長の言に従ってドレスダウンして居酒屋「きくふじ」で夕食。明るく広く、いいお
店。その後、カラオケへ。
支社長に送って頂き、Tさんとホテルに戻る。
部屋に秘書CからFAXが入っていた。レセプションに電話してビジネス・センター
は開いているか聞く。午前1時から5時まで閉じるが、それ以外は開いているとい
う。FAXとラップトップを抱えて4階のビジネス・センターに行く。
フロッピーを借りてラップトップのエクセル資料をシンガポールの秘書Cに送る。会
社のメールをチェックし、自分のHPのBBSを覗き、個人のメールをチェックする
と12時半になった。
寝る前に一杯飲もうとラップトップを部屋に落としてから階下のバーに降りる。
支社長お薦めのバンド「747」が演奏していた。これが驚くほど上手い。英国ロッ
クバンド、クィーンのメドレーには舌を巻いた。本物のクィーンでさえライブでは再
現できずにテープ処理していた「ボヘミアン・ラプソディー」まで8メンバー(キー
ボード1、ブラス2、ドラムス1、女性ボーカル2、ギター1、パーカッション1)
でほぼ完璧に壮大に構築していたのだ。
世の中には隠れた凄い人々がいる。
観客は6人ほど。バンドの方が人数は多い。それでも腐らずに目いっぱい演奏してい
た。
午前一時。テレビをサーフしながら寝たのが朝2時。6時の起床まで4時間しかな
い。

5月10日(金)

6時起床。バスタブにお湯を張り、スーツケースに荷造りし、湯に入り、着替えて
6:45にはロビーに降りてチェックアウトし、Tさんと空港に向かう。
SQのラウンジでくつろいでから8:30にはマニラを発つ。
僕はラップトップで英文契約書を書いた。昨晩のK女史の発言を加味して。
今回はトランジットのシンガポールに到着し、TさんとSQラウンジでワインを飲
み、くつろぐ。
再びSQ便に乗り、13:30にはジャカルタに到着。
空港のトイレでTシャツからスーツに着替えて出てくると、Tさんは荷物が出てこな
いのでSQオフィスにクレームを入れて書類手続きしていた。
外に出るとTさんの会社の支社長が直々に迎えに来てくれていた。
支社長の運転手付きの三菱4WDで支社へ向かう。
雑談し、事務所付き「坊や」の炒れてくれた濃厚なインドネシアン・コーヒーを飲
む。
支社長の部屋にはインドネシアの地図が貼ってあるが、ここは非常に広大な国だと改
めて思った。
北米規模の範図だし、人口は二億を越える。
インドネシア人スタッフをまじえてTさんと英語でプレゼンテーションする。Tさん
と僕、二人が交互に語って説明するこの珍道中プレゼンテーションも、韓国、台湾、
タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアと巡回して、これが最後である。二人
の息がほぼ完璧になった今回が最後だ。
18:00過ぎに終了し、僕はずっと書いてきた契約書をラップトップのデスクトッ
プで開いてTさんに添削してもらい、彼にプリントアウトしてもらい、お互いに署名
して契約が成立した。ほっとする。
支社長の運転手に送られてホテルにチェックイン。これはまた大袈裟なほどゴージャ
スなホテルだった。ジャカルタの街のガサガサした雰囲気とは違う、背の高い、美し
く着飾った男女がゆったりと末広がる階段を降りてくる。
ジャカルタで和食、「五右衛門」で夕食。旨い。このビルには、シンガポールでは潰
れてしまった丸善があった。食後はブロックMの「カナル2」でカラオケ。僕にはま
だまだジャカルタの仕組みが理解できていない。
午前1時にホテルに戻る。ホテルのクラブにTさんと向かう。
白人系バンドがビートを刻んでいて、盛り上がっている。凄い賑わいだ。千人くらい
の若者で埋まっている。白人が七割か。
Tさんが部屋に戻ってからも僕はクラブで飲みつづけ、踊りつづけた。
と、隣のオッサンと会話してしまった。よく見ると若い。インドネシア人のWEB会
社の青年社長だった。ガルーダ航空のスチュワーデスを含む彼の仲間に紹介され、楽
しく話すうちに午前四時になって店が明るくなった。閉店だ。

5月11日(土)

数時間寝ただけで出立の時となる。ホテルをチェックアウトしてTさんと空港に向か
い、SQフライトにチェックイン。2時間ほどでシンガポール着。Tさんと別れて帰
宅。
引き続き飲酒、睡眠。起きてプールで泳ぐ。

5月12日(日)

自宅のプールサイドで小林秀雄を読む。時々泳ぐ。

5月13日(月)

忙しい一日。






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