戸田光太郎の2000年日記

2000年1月22日 

2000年
1月22日(土)

無職第一日目の朝、マスター・カードから請求書が来ている。
ロタ島で遣った払い等エトセトラだ。25万円ほど。むむむ。この金額を遣うの
は実に簡単だが、作り出すとなると容易ではない。カードというのは安泰な未来
を前提に遣っているのだということを人は忘れがちである。
貧乏は人を哲学させる。
しかし、青い海と白い砂と緑の椰子の木の下で安泰な未来を前提に金を遣わない
でいるというのは、麻薬患者が総合病院の薬局に迷い込んでヘロインに手を出さ
ないでいるのと同じくらい難しいことではある。
現金主義が一番。ポケットに入っているだけしか遣わない。江戸の大工みたい
に。
他にもガス代、電気代、電話代が来ていた。
まるで狙っているかのようじゃないか。一句できた。

解雇されし身に 請求書の束 ロンドンの冬より寒き

貧乏は人を文学させる。
本が雪崩のように詰め込まれた部屋を片付け、HITACHIのデスク・トップを設置し
て仕事場にした。欧州の路上で、を一編書く。去年末のパリでのこと。この原稿料
がちょうど電話代に相当する。フリーランスのライターの生活は大変だろうな、
と思った。
貧乏は人を勤勉にさせる。
リエは一日、イスラム美術と中国陶器の勉強。僕はヴェトナムに関する資料を読
む。





<表紙に戻る>