戸田光太郎の21世紀日記 2002年

2002年5月24日〜27日


2002年
5月24日(金)

午後一に某広告代理店で米国企業の件で弊社の英国人CEOを香港に担ぎ出す作戦な
どを話してから有楽町の巨大な国際フォーラム入りする。
赤絨毯に人だかりがある。この日本の系列局も我々が今年2月2日にシンガポールで
実施したイベントのフォルムを踏襲したのだろうか。
シンガポールのアジア本社からこのプロジェクトのインストラクターとして来日して
いたJ嬢と会う。今日は綺麗なグリーンのドレスを着て、きちんとメイクアップして
いるので別人だ。「なんだよ、君か。モデルみたいだな、いつもはシンガポール本社
で汚い格好なのに」と、からかう。
「随分ね、戸田さん」とJ嬢。
彼女は日本語と英語と北京官話と福建語が同等に出来るので、この時も英語と日本語
のチャンポンで会話した。僕も早く北京官話と広東語が出来るようになりたい。死ぬ
気になれば出来るのだろうが、まだ死ぬ気になる環境にない。それが問題だ。
関西の広告代理店のSさんらと国際フォーラムのウィーン系喫茶店で打ち合わせ。懸
案事項と工程表の確認。
17:30にはフォーラム6Fに移動する。
去年9月にテロリスト攻撃寸前にニューヨークで一緒だった関西のYさんらに合流す
る。いずれも2月2日、シンガポールのイベントで合流したKさんらと会えて嬉し
い。こうして、パリやニューヨークや東京や北京やシドニーで再会するような人々が
いて、それは日本国内で言うと、札幌や博多で再会する東京在住の仲間、という感じ
なのである。
僕が大卒で最初に就職した米資系食品会社B社で後輩だったHさんも駆けつけてくれ
る。
Hさんはギターが上手い。それも、滅茶苦茶に、上手い。
僕は有り難いことに、このHさんと一緒のバンドで遊ばせて貰った時期がある。
昨晩、その頃のバンド・マスターだったAさんに電話を掛けた。Aさんは同バンドの
メンバーで、ベース担当だったのだが、実は、JAZZ歌手、大橋純子のバックバン
ドにいた、という変り種だ。僕は昨晩、このAさんに電話して当時のギタリストだっ
たHさんの電話番号を聞きだしたのだ。実は、今回のコンサートに70年代の大御所
ハードロック・バンド「レッド・ツェッペリン」のスーパー・ギタリスト、ジミー・
ペイジが出演すると耳にしたからだ。Hさんにジミー・ペイジを間近で見せてあげた
い。そう思った。
しかし、Hさんにいくら電話しても通話中だった。インターネットでもやっているの
か?
ようやく、連絡がついて昨晩手配したチケットで、こうして、Hさんが国際フォーラ
ムにやってきたのだ。
嬉しかった。
僕が最後、彼に会ったのは、シンガポールだったと思う。Hさんは同棲している可愛
い彼女Mさんとやってきた。その前は、我々のバンド・マスターだったAさんの結婚
式で、僕とHさんは二次会でエヴァリー・ブラザーズを披露して、好評だった。Hさ
んがアコースティック・ギターで、主旋律を歌う僕にハモッてくれたのだ。曲は
「All I want is you」だったかな。
僕らは一緒に働いていた当時、冴えないリーマンだったけど、つっぱって、日吉のス
タジオで練習し、新宿のライブ・ハウスでコンサートを手弁当で開催して、かなり大
変だったけど、でも、やっぱり、それはそれで、こうして、それぞれの、その後の人
生に、非常に役立ったと思う。
馬鹿なことでも楽しくやることは、大切だ。
プレ・パーティーも終わり、会場に入る。
NY本社の馬鹿どもは相変わらず最上の席で、我々は二階の桟敷だ。不愉快極まりな
い。
コンサート収録が始まった。
ロンドン・ブーツが司会した。悪くない。
黒人歌手とデュエットした平井賢はいい。彼を最初に目にしたのは2000年8月の
台北でのコンサートで、あの時彼が歌ったスティービー・ワンダーの「LATEL
Y」は最高だった。
平井賢の二曲目は良くない。歌詞が最低。「どきどき」とか歌って、お笑いの世界
だ。
今絶好調のケミストリーも出る。が、これは僕の好みではない。R&Bを装っている
が、歌謡曲なのだ。チャゲ&飛鳥のR&Bパッケージング版。どうして受けているか
というと、いつの時代にも、アリスとかアルフィーとかチャゲ&飛鳥が好きなコンサ
バ層がいて、ケミストリーはそういう層をゲットしただけなのだ。僕の耳には超ダサ
い。
で、ミスター・チルドレンを間近に見たが、最高だった。10年のキャリアは、やは
り侮れない。ヴォーカルの桜井君がカッコいい。赤いレザーの上下で、体つきは10
年前と一緒の青年体型を保っている。歌詞は、「僕らは何度でも生まれ変わってい
く」みたいな切ないミスチル節。彼も30代半ばくらいになるのだろうけど、CC
ガールズだか、もっと下のギリギリ・ガールズのメンバーと不倫して再婚してのス
キャンダルを生き抜いて、佐野元春の言っていた「つまらない大人になりたくない」
という顔付きでシャウトしていた。
プレゼンターが豪華で、高見山や曙やミスユニバースが出てきた。
瀬戸朝香は可愛い。
安室奈美恵登場で会場は沸いたが、全盛期に彼女が見せた気合がない。だらだら踊っ
て不貞腐れたような感じでステージを降りた。
そして、ジミー・ページ登場。「伝説の音楽家賞」みやいなものを取っていたが、
「人を勝手に伝説なんかにすんな、俺は現役だ」などとも言わずに好々爺然とトロ
フィーを受け取っていた。
Hさん曰く。「年とったなあ。暖炉の前でパイプをくゆらせていても似合う年齢です
ね」
Hさんも僕もバンドをやっていたのは20代だが、今はもう40代である。年功序列
が崩れた今、年齢には何のメリットもない。デメリットの方が多いだろう。我々は結
果を出さねばリストラされる、という立場にある。
Hさんが言った。「今は、どれだけ実力があるかで決まってきますから」
それは当たり前の世界ではあるのだけれど、護送船団で生きてきた前の世代を見てい
ると危機感を持つ事が難しかった我々には突然、酷な話しではある。
僕は、それでもまだ、ここ10年はリストラが日常のアングロサクソン系の会社で生
きてきたから、日本で大企業にいた人々よりは免疫があるとは思うけど、とにかく大
変な時代だ。現在、50代での再就職は年収300万円などという人が一般的なのだ
という。それでは生きていけないだろうに。50代の男は体を売ることは出来ない
し、コンピューターも使えなければ、ビル地下駐車場の守衛くらいしか出来ない。そ
こも過当競争だろう。やばいな。今どき誰でも英語は出来るし、僕は中国語を学んで
付加価値を付けなければいけない。厄介な時代だ。悠悠自適の老後などない。
コンサートでは、シェリル・クロウが元気なネエちゃんで、宜しい。
ボーイズ・トゥー・ボーイズはよくない。気合が入ってない。流している。
さて、トリは浜崎あゆみだ。
彼女は良かった。歌は安室奈美恵より下手だし、踊りも出来ない。が、何故か、大物
感が漂っている。それが旬のスターというものなのだろうか。
12時半を回る。収録は5時間も掛かり、我々はへとへと。段取りの悪さを嘆く出演
者が多かった。
旧友のHさんは終電目指して帰る。
僕は皆とポスト・パーティーに向かった。
仕込み担当のTさんに会うと「来年は完璧に段取りしますから」と燃えていた。
安室奈美恵とサムがいる。安室さんはステージとはうって変わってにこにこ談笑して
いて、夫のサムも傍にいて幸せそうに見える。
オアシスも現われた。
ミス・ユニバースが頭にクラウンを載せてすぐ横を歩いていたが、リエの方が美人だ
と思った。
パーティーに出て帰ると午前二時。約12時間も拘束された。出演者はそれ以上だっ
たらしい。苦行だ。
くたくたになってホテルに着く。荷造りする。
が、色々とあって、更に5時頃まで眠ることが出来ない状況となる。
死ぬ。

5月25日(土)

ちょっと眠って3時間後の8時には起きてバスタブに浸かり、着替えてチェックアウ
ト。タクシーを拾って京成上野駅に行くとスカイライナーは30分後の9:30発で
ある。立ち食い蕎麦屋で春菊蕎麦を食べて週刊誌を買って成田に向かう。
仕事を追えて帰途につく時は至福だ。
10時半についた成田では本屋で数冊買う。
ラウンジで冷酒を飲んで機内でも赤ワインを飲み続けて眠る。
17:50にはシンガポール着。家に帰ると誰もいない。鍵を室内に忘れてきた僕
は、どうしようもない。リエは僕が鍵を忘れてきたことを知りながら部屋に居ない。
救急鍵明けオジサンを呼んで、30分後に80ドル支払って鍵を開けて貰う。
荒涼とした引越し風景がある。
先週から何も動いてない。
失望は僕の友達だ。もともと期待値が低いので失望の谷間への放物線もなだらかで済
む。
悲しい自己防衛の習性なのだろう。
信じて失望するよりは、信じないで、低劣な結果を感謝して受け入れる。
こんなことでいいのか。
世の中には最大限に期待して、少しでも期待値を下回ると、思い切り荒れて怒る人間
がいる。
それこそ人間的なのかもしれない。
僕は小学生の時から通信簿に書かれた。
「他人に期待しない性格。だから自分への期待も鈍る」
人間は小学生の頃の自分から逃れられないのか?
色々と考えながらワインを飲む。
泥酔いして寝ているとリエが帰ってきた。
午前様だ。
友達と飲んでいて潰れて帰ってこれなくなったという。
「ごめんね」
「いいよ」
僕は怒らない。「他人に期待しない性格。だから自分への期待も鈍る」と小学生の
時、担任に書かれた通りだ。人間は進歩しないのか?

5月26日(日)

起きるとリエがお腹が減ったというのでご飯を炊く。湯を沸かし、昆布を入れ、鰹出
汁に大根に味噌を放り込んで味噌汁を作る。卵に出し汁を混ぜて卵焼きを作り、明太
子と昆布巻き鮭。それをプールの見えるリビングの丸テーブルで饗する。
食後、リエは友達と海外旅行に旅立つ。
僕はプールサイドで読書。
福沢諭著「ザ・フィリピンパブ」読了。〇。非常に面白かった。著者は1951年生
まれのミュージシャンだから、今年51歳だ。僕は六本木や上野のフィリピンパブに
行っているし、マニラの歓楽街にも足を運んでいる。著者の自由な心に共感を覚える
も、自分と同様、将来の設計はどうなのだろうかと、心配になる。だって、当時49
歳くらいの彼は、二件のフィリピン・パブの店長を勤めながら、月収はそれぞれ15
万円ずつの30万円に過ぎない。この本の印税だって、僕の経験から言うと160万
円くらいだろう。1万部刷られて、のことだが。
本当に、生きることは厳しい。
一年半のフィリピンパブの経験を単行本にしても実入りは160万円なのだ。
僕の著書でも、10年間書いて100万円以下の金しか生んでいない。
これだけで生きていくのは大変だ。

5月27日(月)

シンガポールは祝日。
朝から自宅コンドミニアムのプールサイドで読書。ほとんど人がいないので暑くなる
とプールに肩まで浸かりながら濡らさないように本を読む。ガルシア・マルケスの
「物語の作り方」と黒木亮「アジアの隼」を交互に。ワインを飲み、ミネラル・
ウォーターを飲み、部屋でビジネス文書を書いてフロッピーに入れ、近所のカフェD
OMEの末端から東京に文書を添付してメールを入れる。その他、自分のHPを確
認。最近、日記の更新をこまめにやるようになったのでアクセスが確実に伸びてい
る。
帰宅してまたプールに浸かって読書。これは非常に気持ちがいい。






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